民間人戦傷者の救済に命を懸け

    2016/09/23

     空襲で左目失明などの重傷を負い、戦後、民間人の戦傷者の救済運動に立ち上がった杉山千佐子さんが逝ってしまった。「今も戦争で傷付いている人がいることを、平和の大切さを伝えたい」と、戦災障害者として受けた苦しみを胸に、東京大空襲や沖縄戦の被害者など同じ境遇の人々と共に闘い続け、18日、101歳の生涯を閉じた。
     1945年3月24日夜の名古屋空襲で、避難した防空壕のすぐそばに爆弾が落ちた。生き埋めの状態で助けられ、九死に一生を得た。顔の左半分はつぶれ、左の眼球も失った。当時29歳。変わり果てた自分の顔。「何度か自殺も考えた」という。
     転機は70年ごろ。寮母をしていた南山大の教授に「黙っていても、国は救ってくれない」と言われた時だった。敗戦時、杉山さんと同じような戦災障害者は全国に約50万人といわれた。「旧軍人や軍属には国の補償があるのに、なぜ、民間の戦傷者には補償がないのか」と悔しさが募り、72年10月、57歳の時に全国戦災障害者連絡会をつくった。
     以来、国による謝罪と補償を求め、毎年8月には、白いつえを手に長距離バスを乗り継ぎ、広島や長崎に訪れた。15年前に乳がんを患うが、「負けるものか」と小柄な体で活動に復帰した。
     だが、この国の体制は、杉山さんの思いとはどんどん離れていった。解釈改憲による集団的自衛権の行使容認や安全保障法案の成立――。
     支援者によると、最期まで「凜(りん)としていた」という。「戦争になれば多くの人々の命が犠牲になる」と本気で心配をしていた杉山さん。戦争の記憶が風化するなかで、平和をつくるために何ができるか。現代を生きる私たちが問われている。