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セクハラの実態とは

 このサイトの主催団体の一つである日本マスコミ文化情報労組会議(略称:MIC)はこのほど、女性弁護士グループ「日本労働弁護団・女性労働プロジェクトチーム」の協力のもと「メディアで働く女性のための緊急セクハラ110番」を実施した。その結果、メディアで働く女性から次のような相談が寄せられた。
 
〈記者同士が集まる酒席で、同業他社の男性記者から身体接触があったり、性的冗談やからかいなどのセクハラ行為を受けたりした。その男性記者は複数の女性記者に対して頻繁に同様のセクハラ行為を繰り返している。上司に相談したいが、面倒くさがられて仕事が任されなくなるのでは、という懸念や加害男性からの報復の懸念がある。「自分がなめられているから被害に遭うのかもしれない」と自分の能力の低さを責めている〉(新聞・通信社)
〈職場の雰囲気がおかしいと思っていたところ、上司から仕事を辞めることを勧奨された。職場内で、職場の男性との性的関係についてばらされ、自分の知らないところで噂になっていたことを辞める時に知り、ショックを受けた。悔しい〉(出版)
〈職場の男性から一方的に好意を告げる膨大なメールが送られるなどのセクハラを繰り返された上、性的関係を強要された。会社に相談したが対応してくれなかった。その後、精神的ダメージを受けたことで、会社に行けず病気になって休職に追い込まれ、辞めざるを得なくなった。会社は女性蔑視の風土を変えてほしい。自分のようなことを繰り返さないでほしいので、こういう事例があることを社会に知ってもらいたい〉(放送)
〈同僚たちとの酒席で参加者から性的な辱めを受け、拒否したら男性から胸を触られ、必死でその場から逃げた。後日、加害男性に謝罪を求めたところ「酒席の場のこと」として取り合ってもらえなかった。さらに加害男性本人が、胸を触ったことを吹聴した。加害男性は上司から注意を受けたようだが、相談者自身も「冗談が通じない人間」として扱われ、不利益を被った。メディア業界ではセクハラが当たり前のこととしてまかり通っていることを世の中に知ってほしい〉(放送)

 いずれも深刻な内容で、問題の根の深さを思い知らされる。「セクハラ」という語感は軽く聞こえるが、その実態は明白な女性差別であり、人権侵害であり、犯罪的行為だと思う。


どさくさに紛れた売国政策

 ニュースが輻輳するとき、大事なニュースでも小さくなったり隠されてしまうのは、メディアにとって「悩みのタネ」だが、大事件、大ニュースを利用して、自分たちの利益になるニュースを強引に、あるいはこっそり通してしまう「どさくさに紛れたニュース操作」を放置するわけにはいかない。
 「どさくさ」は言うまでもなく、ワールドカップ・サッカーと西日本の豪雨災害。そのすきに議論もしないで成立を図る。麻原以下、オウムの死刑囚の一斉処刑も、その材料にされた。延長国会の政府・与党のやり口は、これまでになく露骨だ。
 「改憲」を何とか動かそうという安倍政権が考えたのは、まず、国民投票法の改正。公選法で認められた、洋上投票の拡大、期日前投票の投票時間の弾力化、投票所の増設、駅や商業施設などへの共通投票所の設置―などを可能にしようという改正。「公選法並みにするんだからいいだろ?」と野党を誘ったが、「じゃあ、広告規制はどうする?」と切り替えされ、話にならなかった。
 そこで出てきたのが、参院合区問題の党内の不満を抑えるための参院定数6人増、一部に拘束名簿制を導入するという、仕組み自体のお手盛り手直し案。何とこれを、11日には参院を通過させてしまった。名簿の順位についての考え方は、制度全体の問題。こんなことを、党利党略であっさりやってしまう思想が恐ろしい。
 そして、カジノ法案。何のための誰のための? 説明は全く出来ず、突っ走る。東京新聞は6日、首相が昨年2月、トランプ氏を訪問した際、「カジノ王」といわれる「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン氏らと会って、「カジノ推進」をアピールしたことも報じた。カジノの問題は依存症や、賭博による退廃だけではない、生産がない消費経済で景気が良くなるわけはない。日本の金が巻き上げられるのだ。
 極めつけは、全く見えないままに、5日、衆院を通過した水道法改正。水道の民営化に道を開く大問題。新自由主義が席巻する中、ボリビアやフィリピンの民営化は、水道料金は4倍にも5倍にも跳ね上がり、「貧乏人は水を飲むな」の政策だと問題になった。
 安倍政権の多国籍企業への奉仕、売国政策は、どさくさに紛れて、進んでいる。


ろう者の視点で寄り添う

 音のない世界に生きる、ろう者の心情を描いた仏のドキュメンタリー映画「ヴァンサンへの手紙」の監督で映像作家のレティシア・カートンさんが今週、来日した。表現豊かな手話を禁じられ、厳しい口話教育を受けて「話すこと」を求められるなど、聴者社会のなかで苦しんできた人々が、自分たちの「ろう文化」を取り戻そうと懸命に生きる姿を追っている。
 フランスでも「耳が聞こえない家系を絶つために」と、ろう者の子どもを産んだ母親が不妊手術を強制される実態があった。映画に登場する活動家は、ろう者の団結を示そうとパリからミラノまでのデモ行進を企画した。プレスリリースをつくり、記者会見も準備したものの、会見に現れた記者は一人もいなかった。
「ろう者の尊厳や権利の問題には関心がない。あるいは優先順位が低い。それが私のマスメディアに対する評価です」とカートンさんは話す。
 友人のろう者の男性が自ら命を絶ったことが、ろう者の内面に向き合うきっかけとなった。その男性の名前がヴァンサンだ。3年前に完成し、フランスでの観客動員数は2万人以上。日本での公開は10月で、ろう者の映画監督、牧原依里さんがクラウドファンディングなどで資金を集め、映画の買い付けを行った。
「この映画は私の人生そのもの」と牧原さん。
 原題の邦訳は「ろう者の視点であなたに寄り添う」。自分と異なる世界に生きる人々の心を思い、違いを受け入れる。メディアの記者たちが、この社会を見つめ、報道するときにも必要なことだ。


「沖縄のこころ」と平和の詩「生きる」

 沖縄の「慰霊の日」の6月23日、ことしも沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で、県と県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれた。
 平和宣言で「戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事に今日を生きています」と、「沖縄のこころ」を強調した翁長雄志知事は、今年5月に、がんとの闘病を公表したばかり。以前にも増して眼光鋭く、気迫がみなぎっていた。名護市辺野古に新基地を造らせないとの決意は県民とともにあり、みじんも揺らぐことはないと表明。「沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきもの」「沖縄の基地の現状や日米安全保障体制のあり方について、真摯に考えていただきたい」と、あらためて沖縄県外の人々に向けて訴えた。
 一方、安倍晋三首相の形だけのあいさつは例年通り。「政府として、基地負担を減らすため、一つ一つ、確実に、結果を出していく決意」と言いながら具体策には触れない。「アジアと日本をつなぐゲートウェイとして、沖縄が日本の発展を牽引する」「この流れを更に加速させるため、私が先頭に立って、沖縄の振興を前に進めてまいります」と、あたかも自身が沖縄のリーダーであると言わんばかりの物言いには違和感しかなかった。
 そんな中で、14歳の中学3年生、相良倫子さんが朗読した自作の平和の詩「生きる」は、戦争を許さない強い思いの一語一語が心に染み入った。
 「あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/この島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きているのだ。/今を一緒に、生きているのだ。/だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなくて、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯輝かせて生きることだということを。」
 沖縄戦のことは、地上戦で友人を亡くしたり、家族と離れ離れになったりした曽祖母の体験談をよく聞いていたという。
 日本本土のマスメディアも、読売新聞を含めて比較的大きな扱いで紹介したのに、24日付の産経新聞(東京本社版)は安倍首相のあいさつに紙幅を割き、相良さんものことも、詩「生きる」についても一切触れなかったことは書きとめておきたい。


新聞は「ヘイトスピーチ」にあまい

毎日のように、安倍政権の閣僚、自民党議員から「ヘイトスピーチ」が流される。二階幹事長の発言は、今まで自民党議員が何度も繰り返してきたものだ。安倍政権、自民党にはそのような本質があることを新聞はもっと批判すべきだ。「ヘイトスピーチ」はネットでは「常識」になっている。翁長知事が「沖縄慰霊の日」に平和宣言をした。その姿は痛々しかった。しかし、ネットのなかでは人格を否定した言葉が乱雑している。国会で堂々と「ガン患者」に暴言をはく、こんなことが許されていいはずはない。新聞は「ヘイトスピーチ」にあまりにもあまいのではないかと思う。日本国憲法は「個人の尊重」、「個人の尊厳」を規定している。憲法尊重義務があるものがそれを否定する発言をくりかえしているのを放置していいのか。新聞社の使命が問われる。


田畑忍元同志社大学学長一家の戸籍抹消事件

5月29日の共同通信は「「共産と同一行動は問題」 3人出産発言を巡り 自民、女性県議を注意」を報道した。私は、これは重大な問題だと思っている。石破幹事長(当時)が沖縄県選出国会議員に「米軍基地問題」へ転向を求めたことと同じだと思っている。
以下、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鹿児島県本部作成資料(2000年10月10日)から引用する。

田畑忍元同志社大学学長一家の戸籍抹消事件

奄美大島は国防上の重要な拠点として古仁屋要塞の構築が始まり、これに反対したアナーキストを弾圧し、カトリック排撃運動が名瀬で起こり1934年暮れにはすべての宣教師が奄美大島から引き揚げざるを得ない状態にエスカレート、1935年には古仁屋要塞司令官であった笠(りゅう)蔵次陸軍大臣が名瀬町長にまつりあげられ5年間勤めましたが宣教師が居なくなった教会の跡に町役場を移し、信者を集め信仰を捨てなさいと話し「もし、余が言うことが間違っておればこれをもって余を刺せ」と、自分の軍刀を投げ出した話は有名です。また、宗教転向書をたくさん印刷して署名捺印を強制したり、防空演習にかこつけて、信者の家を焼夷弾の投下の的にして、家財道具から店の商品も台無しになるほど水をぶっかける、こういう蛮行が展開された。
こういうなかで名瀬ゆかりの憲法学者、田畑忍さん一家の戸籍抹消事件が起こりました。8歳下の弟・田畑しげしさんが全協食品部支部責任者、全協京都支部協常任として活動中、1932年5月に共産党に入党、9月検挙、11月起訴されました。当時は、本籍地の役場に通知が来るしくみでしたが、名瀬の町会では、急遽招集が行われ、「非国民一族の本籍が名瀬においていくわけにはいかない」という決議がされ、それを田畑家につきつけられ、お父さんは、泣く泣く本籍を名瀬町金久村から京都府東山区に移さざるを得なかったのです。「昭和10年3月22日全戸除籍」となっています。共産党員、アカ、非国民と言われれば、戸籍まで抹消される、人権もない暗黒の時代でした。
名瀬市議会では治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鹿児島支部(当時)の陳情にもとづき審議、こうした戦前の痛恨の反省にたち1994年10月5日「治安維持法犠牲者への国家賠償を求める意見書」が全会一致で採択されました。


強きに弱く? 日大報道と加計報道

 下火になった感があるが、テレビのワイドショーの洪水のような日大報道はすさまじかった。反則行為をしたアメフト部の選手の真摯な会見に対し、明らかにウソをついているとしか思えない監督やコーチ。記者会見をはじめ大学当局のお粗末な対応。不正行為の背景に何があったのかを追及するのはメディアの仕事だが、「いやーな感じ」を覚えたのは、日大には「理事長、なぜ出てこない!」とたたみかけるリポーターたちが、どういうことか、加計学園には腰が引けているからだ。
 日大問題と加計学園問題。証拠があるにもかかわらず、トップが関与を否定しているという点で構図は同じだ。
 証拠とは何か。日大問題では危険行為をした選手の、上司による指示を認めた真摯な証言であり、加計学園問題では愛媛県庁の職員が残した詳細な面談記録だ。そして、日大の監督やコーチは指示を否定し、安倍首相や加計学園の理事長は記録にあった二人の面談を否定している。
 繰り返すが、日大問題を追及するのはわかる。なぜ、それと同じエネルギーを加計問題に向けないのか。加計問題が首相という最高権力と関係しているからか。で、「落ちた犬はたたけ」「強きに弱く」の日本の大手メディアの体質を改めて見せつけられ、「いやーな感じ」に襲われたのである。
 今週の19日、加計学園の加計孝太郎理事長が初めて会見したが、25分で打ち切られた。メディアは執拗に食い下がっていいはずだが、日大の会見打ち切りで見せた怒りは感じられない。会見を知らせるファクスが地元の報道各社に届いたのも2時間ほど前で、参加者は地元の記者に限られたという。
 強い者に弱いメディアの足元を見透かされ、結果、なめられたのだ。


記者が質問できないと国が滅ぶ

 先日、韓国のドキュメンタリー映画『共犯者たち』の上映イベントに関わった。梅雨らしい雨模様の天気だったが、立教大学の会場に600人を超える人々が集まった。
 「共犯者」というのは、韓国で保守政権におもねったメディアの幹部たちを指す。韓国では、廬武鉉大統領までの民主政権の下では言論の自由が花開いたが、李明博・朴槿恵と続いた保守政権の時代に、報道機関は冬の時代を迎える。政府が放送局の社長人事に介入し、政府を批判する番組は打ち切られ、抵抗する制作者たちは異動か解雇。『共犯者たち』の監督であるチェ・スンホ氏も、韓国の公共放送の一つ、MBCの調査報道部にいたが、政府批判番組が名誉棄損で国から訴えられ、解雇された。彼らは「ニュース打破」というインターネットの独立メディアを立ち上げ、権力にへつらう経営陣を追いかけまわし、直撃インタビューを試みる。
 政権の御用放送と化した放送局では、放送労働者のストライキも展開される。一人のプロデューサーがスマホの自撮りで動画中継して「社長は出ていけ!」と叫ぶと、労組のメンバーも呼応して、みんなでスマホ中継を始める。「たたかっている人を一人にしてはならない」。労組委員長の言葉だ。
 この映画では、箴言のようなセリフがいくつも発せられる。命がけでたたかう者だからこその説得力がある言葉たちだ。
「記録するだけでも意味がある」「暗黒の時代にも、私たちは沈黙しなかった」
(政権の手先となったメディア関係者に向けて)「歴史を恐れなさい」
(質問に答えない大統領に向けて)「記者が質問できないと国が滅びますよ」


日大アメフト事件と日本人

 日大アメリカンフットボール部の違反タックル問題は、一大社会問題になっているが、ここで考えたいのは、こういう事件を引き起こしてしまう日本人の「心性」だ。
 1:ルールがあって、いけないことだとわかっているが、「追い込まれる」とやってしまう。宮川選手は「自分の弱さ」と表現したが、それは彼だけの問題ではない。
 2:内田監督にしても、森コーチ、井上コーチにしても、「反則」はわかっていたが、「勝つためには仕方がない」という自分の論理で突っ走った。本人は目がくらみ、チームはそれが「制度」になって、「勝てば官軍」、だれも文句は言えなくなった。
 3:いったん「勝利」で「完成」すると、「仕組み」はどんどん精密になり、高校から大学、就職に至る人生コースが決められてしまう。その流れから外れるには、相当の勇気を必要とする。
 日大アメフト問題は、①「指示」があったかなかったか②「壊せ」が「積極的にやれ」なのか「けがをさせろ」なのか―が焦点のように見えているが、実は、無言の圧力、あるいはそういう「いい方」で、指示が行われる状況が問題なのではないか。
 「わかるよな」と指示して悪いことをさせる会社、「総理は会っていないのだから、会った記録はすべて消そう」と考え、国会も歴史も直してしまって平気な人たち…。
 このあと、日大が理事長以下が責任を取って、全く違う方向に進んでいけるかどうか。刑事責任を問えるのか、内田監督、井上コーチと宮川君は「共同正犯」なのか、宮川君を2人の「正犯」の「道具」だったとして無罪にできるのか。勝手に謀略で戦争を始めて、結局それを追認してしまったかつての日本社会と違うのか、同じなのか…。
 政治が率先してウソと欺瞞を広げている中で、日本社会をこれからどうしていくのか、変えられるのかどうか。わたしたちの考え方、生き方も問いかけられている。