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なめられたメディア、そして国民

 こんなにひどい記者会見がかつてあっただろうか。河野太郎外相による11日の記者会見である。記者からロシアとの平和条約交渉に関する質問をされると「次の質問どうぞ」と同じフレーズを4回も繰り返し、無視したのだ。政治家が回答をはぐらかすのは常套手段だが、回答そのものを拒否するとうのは極めて異例である。異様だといってよい。
 報道によれば、立憲民主党の辻元清美国会対策委員長は11日、記者団に「議員や記者の後ろには国民がいる。質問に答えないのは国民を無視しているに等しい」と批判したというが、その通りだ。報道の自由や人々の知る権利という民主主義を支えている基本的な価値がなめられたのである。
 なぜ、こんなことが起きるのか。世界で広がる政治家のリーダーによるメディアへの攻撃と無縁ではない。
 米紙「ニューヨーク・タイムズ」は「真実をめぐる戦争が広がっている」(9日付電子版)と題する社説を掲げ、全体主義国家にとってメディアは憎むべき存在だったが、今や民主的な選挙で選ばれた政府によって報道の自由への攻撃が行われていると指摘。あのジョージ・オーウェルですら予測していなかった事態だ、と。
 同紙によると、フィリピンでは、ドゥテルテ大統領に批判的なネットメディア「ラップラー」が狙い撃ちにされ、同社のマリア・レッサ最高経営責任者らが脱税罪で起訴された。ハンガリーではオンラインメディアや地方紙を右翼のオルバン首相に近い金持ちが牛耳り、ポーランドでは公共放送が政権の代弁者に成り下がった。米国ではトランプ政権が、米CNNのジム・アコスタ記者の入庁に必要な記者証を取り上げるという暴挙に出た(後にワシントンの連邦地裁が記者証を返還するよう命じた)。
 「フェイクニュース」「オルタナティブファクト」を政権がばらまく傍ら、既存メディアを攻撃する。同じことは森友・加計問題に対する安倍政権の対応にも通じる。私たちの足元で確実に民主主義の内部崩壊が起きているのだ。なめられるメディア側の問題は大きい。しかし、国民もなめられた以上、政権に怒りをぶつけるべきだ。


市民が支えるメディアin韓国

 韓国・ソウルにあるインターネット放送局『ニュース打破』を訪れる機会があった。
 『ニュース打破』は2012年1月、当時の李明博大統領率いる保守政権下で生まれた。KBS・MBCといった公共放送局で政権批判の番組を制作したり、ストライキでたたかったりして解雇処分を受けたジャーナリストたちが設立したメディアだ。いま、各地でドキュメンタリー映画『共犯者たち』が上映されているが、これは『ニュース打破』が製作したもので、権力による容赦ないメディア弾圧と、それに迎合してしまうマスメディア、一方で激しく抵抗するジャーナリストたちと労働組合のたたかいが克明に記録された作品だ。
 解雇されたディレクターたちが無報酬でニュースを作ってユーチューブなどにアップしたのが『ニュース打破』の始まりだが、それは全国言論労働組合(新聞・放送などメディア業界の産業別労働組合)から2000万ウオンの支援を受けて、六ヵ月間限定のプロジェクト事業としてスタートしたものだった。初放送の直後から「支援したい」という市民の声が自発的に寄せられたが、『ニュース打破』は主流メディアが権力監視の役割を果たしていないというお詫びの気持ちで始めたので、市民からの支援を断っていたという。
 しかし、プロジェクトが終わる2012年夏、その年の暮れの大統領選に向けて、保守政権に掌握されていた主流のメディアは与党候補を集中的に報道していた。そこで『ニュース打破』は野党候補も取り上げて公正な報道をするため、一時的に市民の後援を受けることにした。すると、選挙が終わるころには支援者が2万人に達したという。労組が誕生に手を貸したメディアが、市民によって育て上げられたのだ。
 その後、政権を厳しく批判する調査報道を連発して市民の支持を広げた『ニュース打破』は、約3万4000人の会員、年間予算50億ウオンという一大メディアに成長した。このように、ジャーナリストと、市民と、そして労働組合が手を取り合えば、日本でも何かできることがあるのではないか。


ゴーン逮捕で「置き替え」を許すな

 東京地検特捜部の日産・ゴーン会長の逮捕は衝撃的だった。この真相が何だったのか、米国→日本政府vs.フランス+欧州の経済戦争、という見方もあるし、余するに外資にやられた会社の「復権クーデター」というのもある。どれも当たっていそうだし、真相は結局わからないだろう。
 ただ、はっきりしていることがある。このニュースで明らかに後景に引いてしまったのが、問題がずっと続き、安倍政権が続く間、国民の意識の中に、疑惑として残っている「森友・加計問題」だ。ゴーン氏の逮捕で、籠池夫妻への10か月の拘留が話題になるのは、皮肉なものだが、「安倍夫妻の国策私物化」が「外国人投資家の大企業私物化」にいつの間にか置き換えられ、「森友・加計問題」の追及がおろそかになってはならない。
 特捜事件で特徴的なのは、事件報道が結局、検察リークのウエイトが高くなることだ。もちろん、企業人から「情報屋」まで、自社取材の積み重ねが勝負を決めるが、それもほとんど情報は、当局の確認が必要な場合が多いし、限られたソースから、特殊な「夜回り会見」でのリークが報道の流れを決める。いろいろ言われながら、取材のシステムはあまり変わっていないようだ。その結果、「検察の意図」については、正確に報道されるが、そのことの意味や行動が批判の対象にされることは、ほとんどない。つまり、ジャーナリズムとしてのチェックは不在だ。
 数年前、小沢一郎氏がターゲットにされ、検察情報が執拗に流されたが、結局事件にはならなかった。しかし、その結果、小沢氏が「カネの疑惑」の代表のようにされ、政治的に不利な立場になったことも確か。一体どこで、どういうメカニズムが働いたか?
 「国策捜査」という言葉がある。それは本来、「司法」にとって、不名誉な言葉だ。ゴーン逮捕があっても、「森友・加計問題」は終わっていない。


ゴーン前会長逮捕と地検特捜部

 カルロス・ゴーン日産自動車会長の11月19日の電撃逮捕には驚いたが、即時に日産が会長職の解任、代表権のはく奪を言明したことにも少なからず驚いた。密かに内部調査を進めていたのだという。11月22日の臨時取締役会で会長解任などを決めた。ゴーン前会長の経営支配から脱したその迅速ぶりが際立つ。東京地検特捜部と綿密に意思を疎通させていなければできないことではないか。
 前会長の金融商品取引法違反の容疑は、5年分の報酬を約50億円少なく有価証券報告書に記載したとの内容であり、本当なら許されないことには違いない。ただ虚偽事実の公表は、投資家の判断に悪影響を与えるから問題なのであり、悪質さという点では、企業業績の粉飾ほどに重いとは思えない。また、報酬には税法上の問題が出てくるが、ゴーン前会長の納税状況ははっきりしたことは伝えられていない。そもそもトップの報酬のごまかしが、日産ほどの巨大企業でトップと一部の側近だけでできることなのか。日産とルノーの間には提携を巡って確執があったということも報じられている。ルノーはフランス政府が筆頭株主で、そうなると日仏の国策絡みの背景事情はないのか。
 前会長が容疑を認めているのかも一般には不明なまま、経営からの放逐だけは迅速に決まったとの印象が強い。それを可能にしたのは東京地検特捜部による前会長の逮捕だが、では特捜部はなぜ、日産の内部調査結果の公表を待たずに逮捕に踏み切ったのか。法務検察当局、さらには首相官邸との間で事前に協議があったのか、なかったのか。
 思うのは、同じ特捜検察である大阪地検特捜部が森友学園の土地取引問題を巡り、財務省の公文書改ざんを立件しなかったことだ。日本の民主主義の根幹にかかわる、はるかに重要な問題だったのに不問に付した。特捜検察とはいったい何なのか。2010年に発覚した大阪地検の証拠改ざん事件を機に、特捜検察は解体的出直しを図ったはずだ。どう変わったのか、変わっていないのかはマスメディアの報道の課題でもある。ゴーン前会長や日産というビッグネームばかりに目が行きがちな事件だが、特捜部の動きの綿密な検証が必要だ。


演劇人らの闘い

 「このままだと憲法9条をはじめ、人権、人間の尊厳など民主主義の根幹が崩れる。自分たちの手で、表現の自由を守らなければならない」
 演出家や劇作家、俳優ら有志による「安保法制と安倍政権の暴走を許さない演劇人・舞台表現者の会」が今月21日、「表現の自由」をテーマにした集会を東京・六本木の俳優座劇場で開く。同会の呼びかけ人の一人で文学座の演出家、西川信廣さん(69)らが企画した。作家の池澤夏樹さんと作曲家の池辺晋一郎さんの対談のほか、劇団文化座代表の佐々木愛さんら女優たちが、日本国憲法の前文を朗読する。「会として初めて企画する集会。とりわけ若い世代に私たちの声を届けたい」と西川さんは語る。
 2015年9月16日、演劇人や音楽家ら計約300人が、東京や京都、神戸など20カ所以上の駅前に立って、参院で審議中の安全保障関連法案の強行採決などに抗議し、1時間の「サイレントスタンディング」を行った。その3日後の19日未明、「戦争法案」と呼ばれた安保関連法案が参院本会議で可決。その瞬間を胸に刻み、西川さんをはじめ、演出家の鵜山仁さんら会のメンバーは毎月19日に、それぞれ最寄りの駅前で、「無言の抗議」を続けている。
 解釈改憲で集団的自衛権の行使を可能にさせ、安保法制を成立させた。「三選された安倍首相は今度は憲法を視野に入れている」と西川さん。「新しい形での意思表示」の第一弾が今回の集会だ。
 まずは自分たちができることをする。粘り強く継続する。そうして市民が互いにつながっていけば、やがて大きな輪ができる。その動きをしっかりと追うことがメディアの役割だ。


「ありえない」発言への追随、ありえない

 「元徴用工への賠償、命令 韓国最高裁、日本企業に 安倍首相『あり得ない』」。韓国人の元徴用工4人が新日鉄住金を相手に損害賠償を求めた訴訟の判決で、韓国大法院(最高裁)が同社に1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じると、朝日新聞はこんな見出しを掲げ、翌日(10月31)の朝刊1面トップで報じた。
 「ありえない」は、「判決は国際法に照らして、あり得ない判断だ」と述べた安倍晋三首相の言葉からとっている。
 驚いたのは、「朝日」から「産経」までふだん社論の異なる各紙がこぞって、国際的な合意を覆す、日本側に不利な内容の「トンデモ判決」というニュアンスで大法院判決を伝えたのだ。テレビのニュースやワイドショー、そしてあのリベラルなTBS『サンデーモーニング』の放送まで同じようなトーンで貫かれていた。
 「国益」がからむと、日本のジャーナリズムがいかにもろく、弱いかを端的に示す現象だった。
 裁判の争点は、1965年の国交正常化に伴う請求権協定で元徴用工への補償問題で個人請求権がなくなったのか、どうか。日本政府や企業側は、「補償問題は解決済み」という立場をとる。しかし韓国最高裁は、「強制動員被害者の日本企業への慰謝料請求権」は協定では消滅していないと、別の解釈を示した。
 冷戦終結後の1990年代、日本の侵略戦争や植民地支配で苦しんだ被害者が次々に戦後補償裁判を起こし、「補償問題は解決済み」という壁に挑んだ。日本の最高裁は被害者の訴えをはね返したが、法を様々に解釈できるからこそ、訴えが可能だった(常識である)。
 法の唯一絶対正しい解釈など「ありえない」。にもかかわらず、唯々諾々と政府の言い分を伝えるメディアの劣化の具合は深刻だ。


なぜ追及しないのか

 第二次大戦中、日本統治下の朝鮮半島から日本本土に徴用され、過酷な環境に置かれた「徴用工」をめぐる問題で、韓国の最高裁が元徴用工の請求権を認める判決を出したことが、波紋を呼んでいる。
 日本政府は、1965年の日韓協定で請求権問題は解決した、という立場だが、この問題に関するメディアの報道が、どれもポイントを外しているような気がする。それは、日本政府が二枚舌を使っているのではないか、という疑いだ。
 1992年2月26日の衆議院外務委員会で、土井たか子議員と柳井俊二外務事務次官(いずれも当時)が、次のような質疑を交わしている。
柳井委員 「…しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます」
土井委員 「…今ここで請求権として放棄しているのは、政府自身が持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか」
柳井委員 「ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます」
 過去の政府答弁ではこのように、日本政府は個人の請求権は消滅していないと考えている、と言明している。どうしてこの点をメディアは追及しないのか。問題は韓国の最高裁や韓国政府にあるのではなく、日本政府のほうにあるのではないか。