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「憲法くん」が求めるもの

 わたし、憲法くんは個人の自由が奪われないように、国を治める人たちが、自分勝手な政治を行わないように、歯止めをかけているんです–。
 芸人、松元ヒロさん(66)による一人芝居「憲法くん」を原案にした映画「誰がために憲法はある」(井上淳一監督)が今月27日から東京などで公開される。
 松元さんに代わって映画で「憲法くん」を演じるのは女優の渡辺美佐子さん(86)だ。「憲法には国家が暴走しないように権力者をしばる役割がある。それを聞いて、戦争を知る世代である私がこの役を演じる意味があると思った」
 東京で生まれ育ち、東京大空襲を経験した。毎晩のように鳴る空襲警報。ひもじい毎日。そして同じクラスで、思いを寄せていた少年がある日、姿を見せなくなった。「広島の親類の家に疎開し、原爆で命を失っていたことを戦後から35年を経て知った」という。自分は生き延び、俳優という道を歩んできた。戦争で命を失った人々への「申し訳ない」という気持ちが、平和を強く願う思いに結びついた。
 映画では、そんな渡辺さんが女優有志で始めた朗読劇「夏の雲は忘れない」にも視点を当てる。台本には被爆した子や母、元米従軍カメラマンの故ジョー・オダネル氏の手記などを盛り込み、作曲家の池辺晋一郎さん(75)が音楽を担当した。初演は2008年。以後、夏の時期に全国各地を公演でめぐってきた。だが、この朗読劇も「今年が最後」という。「体力的につらくなってきた。若い人たちの感覚で平和の大切さを表現してほしい」と渡辺さん。
 「理想と現実が違っていたら、普通は、現実を理想に近づけるように、努力するものではありませんか」と訴える「憲法くん」。平和をつくるために一人ひとりが行動する。それこそ、日本国憲法が私たちに求めることにほかならない。


忖度?思考停止? この改元狂奏曲

 ある程度予想されたことではあったが、ここ数日の朝刊各紙とテレビの情報番組による改元狂奏曲は、日本のジャーナリズムの弱さを改めて示すことになった。
 「令和」の典拠となった万葉集ブーム。ゆかりの太宰府で「歓喜の宴」。「令和」商戦。全国「令和さん」紹介……。社会面はほぼ奉祝記事で埋め尽くされた。政治面等で日本の歴史上初めて国書が典拠とされた背景に安倍晋三首相の強いこだわりがあったことなどの解説はあるものの、「一世一元」とは何か、国民主権との関係でどうなのか、という本質的な問いが欠落していた。おめでたい席に異論を唱えるのは差し控えるという「忖度」か、メディアで働く人間の思考停止がここまできてしまったのか。
 3月27日、弁護士や作家、フリージャーナリストが元号制定の差し止めを求めて東京地裁に提訴した。元号の制定は、国民を「天皇の在位の時間」に閉じ込めるから、憲法13条の「個人の尊厳」を侵害する。元号法は国民主権を根本原理とする日本国憲法の精神に真っ向から反する――。問題の核心を突く主張を記者会見で訴えたが、大手メディアやテレビのほとんどが黙殺した。
 歴史を駆け足で振り返ると、一世一元の制度は、1868年9月8日の明治改元の詔に記された。空間だけでなく、時間も天皇が支配することを狙った。「祭政一致国家」を目指した明治政府は、天皇の権威を高めるために天皇統治の正当性を神話に求めるなど、様々な仕掛けを用意し、一世一元もその一つだった。日本国憲法の制定で主権は、天皇から国民に移る。一世一元の見直しは論理必然であり、1979年制定の元号法をめぐって、国民主権の観点からも激しい議論が起きた。そんな過去は忘却の彼方にいってしまったかのようだ。
 新天皇が即位する5月以降、「剣璽等承継の儀」や「即位礼正殿の儀」、「大嘗祭」が続く。すべて政教分離や国民主権との関係で問題をはらんでいる。「忖度」「思考停止」は、ジャーナリズムの自殺である。


AMラジオ「廃止」でいいのか

 日本民間放送連盟が、現在のAM放送からFM放送に乗り換えることができるよう総務省に制度改正を要望した、と報じられた。現在、多くのAM局が難聴対策や災害対策のために「ワイドFM」としてFMの周波数帯でも同じ番組を放送していること、AMはFMに比べて大規模な送信所どが必要なため設備更新には多額の費用がかかることから、放送事業者の判断でFMに一本化できるよう求めるものだ。2028年の再免許時までの実現をめざすという。
 ラジオ局は確かにどこも経営が苦しく、大規模な設備更新やAM・FMの並行運用がたいへんだ、というのは理解できる。しかし、いきなり「AMラジオをやめます」というのは、多くのリスナーにとって文字通り“寝耳に水”だろう。ツイッターなどで反対の声が沸き上がったのも無理はない。
 FMでも同時放送しているから、と言っても、各地のワイドFMはまだ普及の途上で、周波数の周知も十分ではない。またFMの高周波数帯までカバーできる受信機がなければ聴取できない。ラジオ局の負担軽減のために受信機買い替えをリスナーに強いる、ということでいいのだろうか。
 FM波は波長が短くて送信設備が小さい分、電波の届く範囲がAM波より狭い。このため、遠くまで電波を飛ばすためには中継局を増設しなければならないはずで、これが逆にラジオ局への新たな経営的負担になることも考えられる。
 最近はスマホのラジコアプリで聴いているリスナーも多いと言われるが、災害などの非常時に情報インフラとして頼りになるのは、乾電池でも長時間作動できる小型のラジオ受信機だ。災害の多いこの国で、繰り返しラジオメディアの重要性が確認されてきたことを、放送事業者はどう受け止めているのか。
 広告収入の落ち込みを、人減らしや番組制作費の削減でごまかして、その結果としてラジオ媒体の魅力を自ら低下させてきたツケを、リスナーに転嫁するようなことは許されない。この機会にラジオの魅力を再認識してもらうような、いわばピンチをチャンスに変える発想をラジオ関係者に求めたい。


地方選挙の課題

 いよいよ統一地方選。安倍首相は16日、防衛大学校の卒業式で、「自衛隊が強い誇りを持って職務を全うできる環境を整えるため、全力を尽くす」と決意表明。改めて自衛隊を憲法に書き込むという改憲への執念を見せた。
 これまで自民党は、「地方選と国政は別」と議論を避けてきたが、今回は地方選挙でも、「国民世論を呼び覚まし、憲法改正に向けて道筋をつける」と、「改憲」を打ち出した。
 地方選挙で国政の問題を主張するのは野党・革新系、国政問題を隠して「どぶ板」で多数を取るのが保守・自民党系―という構図も変化している。

 自民党は昨年来、地方支部に「改憲推進本部」を作り、地元の改憲団体と一緒に集会を開くなどして「改憲機運」を高める、としている。一例は、自治体への自衛隊適格者名簿の提出要請。2月14日には、全所属国会議員に、自衛官募集の関連名簿提出を地元市町村に促すよう求める通達を出した。
 小野寺五典安全保障調査会長らの名前で、「募集に関する名簿を紙媒体や電子媒体で提出するよう要請しているにもかかわらず、市町村の約六割が提出していない」とし、「募集事務の適正な執行」だとした。冗談ではない。民間はもちろん、警察や消防の募集にも住民票から適格者の年齢で名簿の一覧を出すなどということはない。
 「一強」の国会情勢に対し、自治体議会が反対の請願を採択したり、決議や要請書を上げる例が増えている。この自衛隊募集でも同様だ。「安倍9条改憲」が導き出すのは、この「自衛隊員の候補者抽出」から「勧誘」、「説得」…、勇んで「出征」だ。地方議員は「関係ない」とは言っていられないはずだ。

 地方選の候補者に、課題を問い掛け「あなたは中央直結の地方自治体」を作るのか、それとも「中央政治にもの申す、住民の声を代表する地方議会」を作るのか、を問い掛けるのは、メディアと住民の責任だろう。

 あなたが投票する候補者は、どう言っていますか?


立ち上がる市民

 統一地方選の一つとして実施される広島市長選(4月7日投開票)に「憲法と平和を守る広島共同センター」の代表で、元広島市職労書記の川后(せんこう)和幸氏(67)が無所属で立候補する。市民団体「市民の願いにこたえる広島市長を誕生させる会」の世話人で今月初め、自ら出馬を表明した。
 同会は「核兵器禁止条約の署名・批准を日本政府に本気で働きかける市長を誕生させよう」と年明けに結成された。きっかけをつくったのは一昨年末、オスロであったノーベル平和賞の授賞式で、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)を代表して核の被害を訴えたサーロー節子さん(87)=カナダ在住=だ。
 広島で被爆したサーローさんは昨秋、帰郷し、広島の松井一實市長に「戦争被爆地の広島市長には核兵器禁止条約を成立させるために道義的責任を果たしてほしい」と要請した。これに対して松井市長は「とんがらなくてもいい。ドングリの背比べでいきたい」と返答したと報じられている。
 「市長の姿勢を変えるために一人一人が声を上げて行動を」。サーローさんの呼びかけが、広島の市民を立ち上がらせた。
 一方の首都東京。首相官邸前で14日、「FIGHT FOR TRUTH!私たちの知る権利を守る」をスローガンにした抗議行動があった。
 新聞や出版といったマスメディアの労組などでつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」(MIC)が主催し、現役の記者や弁護士、市民、野党議員らが参集。官房長官の記者会見で質問の制限や妨害に遭っている東京新聞の望月衣塑子記者は「民主主義が衰退する」と声を上げた。
 4月の統一地方選の次は7月の参院選だ。平和、環境、報道の自由をどう守るのか。次の世代にどんな国を残すのか。私たち主権者の行動がそのカギを握る。


特捜検察の事件とメディアの役割

 特別背任などの罪で起訴されている日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が3月6日、東京拘置所から保釈された。昨年11月に東京地検特捜部に逮捕されてから身柄拘束は108日に及んだ。特捜部の捜査は続いており、前会長は起訴事実をすべて否認。公判前整理手続きも始まっていない。その中での保釈は異例だという。これまでも特捜検察の事件では、長期の身柄拘束が伴う「人質司法」が批判されてきた。ゴーン前会長の事件で国際的にも批判を浴びたことが、裁判所の判断に影響を与えたのでは、との指摘もある。保釈翌日の7日付の新聞各紙の社説では、朝日新聞や日経新聞のほか多くの地方紙が「人質司法を脱する契機に」と説いた。
 特捜部の捜査にはほかにも検証が必要なことがある。例えば昨年11月に最初にゴーン前会長を逮捕した際の発表だ。容疑は、日産自動車の有価証券報告書に前会長の報酬を約50億円少なく記載したとの内容。普通に受け止めれば、前会長は手にした報酬のうち約50億円を隠蔽していたのだろうと考える。しかし、実際には未払いで、検察の発表の中でそのことは明らかにされなかった。「50億円は未払い」と分かっていれば、事件と前会長について一般の人が当初抱いた印象は異なっていたかもしれない。なぜそんな発表になったのか、踏み込んだ検証記事は今に至るまで見当たらない。
 逮捕直後から日産自動車は前会長の解任に動き、「社内調査」についての情報発信も積極的だった。結果として詳細も真偽も不明のまま「金に汚く、会社を私物化したゴーン」の印象が広まった。そのことがその後の捜査の追い風になった観は否めない。前会長の逮捕に向けて、特捜部と日産自動車の間でどんなやり取りがあったのか。ハードルは高いかもしれないが、検証は不可欠だ。
 かつて特捜検察は、厚生労働省官僚だった村木厚子さんを逮捕(後に無罪確定)した事件で、大阪地検特捜部の主任検事が証拠を改ざんするという不祥事を引き起こした。捜査機関として極限までの堕落。その最大の要因は特捜検察のおごりだが、メディアも「巨悪を眠らせない」などと無批判に特捜検察を持ち上げ続けていた。メディアは今一度、その反省に立って、検察の捜査を監視し、検証すべきだ。


琉球新報の社説に、全国の新聞社は「返答」しよう

3月5日に琉球新報は下記のような「異例な・異常な」社説を出した。
このような社説を出さないといけないほど、沖縄県民投票の価値がないがしろにされている証拠だ。また、「普天間基地返還には辺野古新基地建設が唯一」と強弁する安倍政権への怒りだ。
社説は、「本土の国民の意識が問われる番である。」から始まる。
ぼくは、当然、全国の新聞社は、この社説への「返答」をするものだと「錯覚」していた。
3月6日に「返答」を書いた新聞社説を「お目にしてない」。

いま、安倍政権は、東京新聞記者を排除する「報道の自由」を侵害することを平気で、当たり前のごとくしている。それに対する抗議の声に耳を傾けようとする姿勢は微塵もない。
翻って、沖縄県にある米軍基地問題。沖縄県民はこれ以上の米軍基地はいらないと何度も表明している。
報道の自由が侵害されているなか、琉球新報の社説には、全国の新聞社は答えないのか。

安倍政権は、日本は独立国家だとくりかえし、軍事増強を当然視している。
独立国家だったら、日本の陸・海・空が日本の法律、国際法を無視しているアメリカ軍に対して抗議すべきだ。東京オリンピック・パラリンピック開催中も、アメリカ軍は通常通りにするという。
このように、日本にアメリカ軍基地が必要か、必要としたら、アメリカ軍に対して、日本政府としての意見をしっかり表明し、それを遵守させることが、独立国家として当然のことだと思う。

あす、全国の新聞社のいくつが、琉球新報へ「返答」できるのだろう。

琉球新報:<社説>県民投票の県外反応 「辺野古」全国で議論を
2019年3月5日 06:01
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-884002.html

 本土の国民の意識が問われる番である。
 名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票で投票者の7割超が反対の意思を示した。沖縄を除く46都道府県知事を対象に本紙が実施したアンケートで日米政府は結果を尊重すべきかを聞いたところ、回答を得た知事43人中「そう思う」と答えたのは静岡県の川勝平太知事、1人だけだった。
 未回答の岩手県の達増拓也知事は会見で「(結果を)重く受け止めるべきだ」と述べたものの、28人は回答を控え、14人は「どちらとも言えない」と答えた。
 米軍普天間飛行場の代替施設の受け入れを検討できるかとの問いに「検討できる」と回答した知事はいなかった。
 残念だ。全国の知事の態度は、過重な米軍基地負担を背景に県民が示した新基地建設反対の明確な民意に向き合っているとは言い難い。民主主義の担い手であるはずの都道府県トップの政治家がこのような意識でいいのか。
 そもそも知事選や国政選挙など節目の選挙で辺野古新基地反対の民意を示してきた県民が、県民投票で改めて意思を示さなければならなかったのは、普天間飛行場の代替施設を本土側が受け入れないことが大きな理由の一つだ。
 複雑な心情や分断の痛みを伴いながら県民投票を実施した大きな狙いの一つは、明確な民意を示すことによって全国的な議論を喚起することだった。
 玉城デニー知事は1日の日本外国特派員協会での会見で国民全体で議論するよう呼び掛けた。辺野古移設問題のボールは日米両政府や本土の国民に投げられたのだ。
 ところが安倍晋三首相は結果を「真摯(しんし)に受け止める」と述べながら、埋め立て工事は強行したままだ。言行不一致も甚だしい。岩屋毅防衛相に至っては、国会の答弁で「一部に反対のご意見があることも承知している」と述べ、7割超が反対した民意を「一部」と断じ、矮小(わいしょう)化した。
 こうした態度を示す政府を支えているのは本土の有権者だ。安倍政権を選挙で選んだ責任がある。無理解・無関心は無責任だ。県民投票で沖縄の明確な民意が示された今、工事の強行を黙殺することはなおさら許されない。
 憲法学者の小林節慶応大名誉教授は「県民投票には憲法上の拘束力がある。政府は憲法の趣旨に従って『少なくとも県外への移設』を追求すべき義務がある」と述べている。重要な指摘だ。政府も本土の国民も、この憲法上の拘束力を認識すべきだ。
 一方、東京都の小金井と小平の両市議会は普天間の代替施設の必要性や移設先について国民的議論を求める意見書を可決した。この動きが全国に広がってほしい。一人一人が沖縄の基地問題をわが事として捉え、活発な議論を繰り広げることで、全国で理解が深まることを切望する。


これがジャーナリズムか、読売新聞

 読売新聞の朝刊政治面で「皇位継承のかたち」という連載が2月28日からスタートした。「退位と即位にまつわる儀式の『すがた』はどのような背景で決まったのか。3回に分けて検証する」という。検証とは「実際に調べて証明すること」(広辞苑)だが、読後感を一言でいえば、政府の言い分の引き写し。何かを証明したとはおよそ言えない読み物だ。
 例えば、皇太子の新天皇即位に伴う儀式「剣璽等承継の儀」は、神話に由来する三種の神器のうちの剣爾を持ち込むもので、違憲の疑義が憲法学者らから投げかけられ、大阪高裁判決(1995年3月9日)も「政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」と指摘している。
 ところが、読売新聞は、①横畠裕介内閣法制局長官が「憲法上問題はない」との見解を示した②皇室経済法で剣爾が「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」と位置づけられている——という点のみから、問題はないという結論を導き出している。
 一連の儀式の手続きも、「憲法に基づく国民主権の姿勢の表れ」と手放しで評価する。しかし、前回の「即位正殿の儀」について大阪高裁判決は、「天皇が主権者の代表である海部(俊樹)首相を見下ろす位置で『お言葉』を発したこと、同首相が天皇を仰ぎ見る位置で『寿詞』を読み上げたこと等、国民を主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定できない」と述べている。しかし、この論点も見事スキップしている。
 そういえば、24日にあった沖縄県民投票の翌日、在京大手紙の朝刊を手にとると、1面トップで扱ったのは、「朝日」と「毎日」で、読売新聞の扱いが最も小さかった。3面の見出しも「投票率52% 広がり欠く」「『反対』最多 影響は限定的」と、県民投票を矮小化しようとする意図があからさまだった。
 これがジャーナリズムか。政府に追随して恥じない、自らの報道を検証することをお勧めする。