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翁長知事の遺したことば

 9月30日、沖縄県知事選が投開票日を迎える。玉城デニー氏と佐喜真淳氏の一騎打ちの様相だが、事前の情勢報道ではまさに互角のたたかいだという。
 翁長知事の急逝を受けての前倒し知事選となったわけだが、翁長さんの遺した言葉を改めて振り返っておきたい。
「私は保守の人間だが、沖縄に在日米軍専用施設面積の74%が集中するのは大変理不尽で、許されるものではないと考える。基地問題を解決しなければ21世紀に羽ばたくことはできない」
「今本土で飛んでいるオスプレイは一定程度が過ぎたら、みんな沖縄に戻ってくるんです。これを日本の政治の堕落ということを申し上げているんです。どうか日本の国が独立は神話だと言われないように、安倍首相、頑張ってください。ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけない)」
「政府は民意にかかわらず、強行している。米施政権下と何ら変わりない。日本に地方自治や民主主義はあるのか。沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か。国民に問いたい」
「沖縄戦で軍事占領した土地に普天間飛行場を造り、そこが危険になったから他の土地をよこせ、というのは理不尽だ。日本の政治の堕落だ」
(沖縄は経済振興策を受けているという声に対して)
「それなら、沖縄に経済援助なんかいらない。そのかわり、全ての米軍基地を返せと言いたい。困るのはどっちか。沖縄が日本に甘えているのか。日本が沖縄に甘えているのか」
「辺野古に基地ができれば、100年、200年と米軍の駐留が続く。子や孫に誇れる沖縄と言えない」
「朝鮮半島の非核化と緊張緩和への努力が続けられている。(日本政府は)平和を求める大きな流れから取り残されているのではないか」
 こうした翁長さんの想いを受け継ぎ、沖縄の、そして日本の未来を切り拓くような県知事が誕生することを期待したい。


「恫喝選挙」と改憲発議

 ・「人事で干されてもいいのか」―安倍首相との会談を終えた岸田政調会長が、不出馬を決めた理由として語られていることば。「石破を応援するな」―西村官房副長官が地元の神戸市議に圧力を掛けた、と伝えられていることば。
 ・「石破を応援するなら、閣僚を辞めてからにしろ」―齋藤農水大臣が同僚議員からいわれたということば。
 ・「投票が終わるまで口を開くな」―小泉進次郎氏が安倍陣営からいわれていたことば。
 カネと生活と因習にとらわれた田舎の選挙か、マンガでクラスを牛耳る悪ガキがやると描かれる、学級委員か生徒会かの選挙ではいざ知らず、いずれも今回の自民党総裁選で、報じられた「圧力」のエピソードだ。
 議員の間で札束か飛び交い、2人からもらうのがニッカ、3人からもらうとサントリーといわれた時代もあった総裁選だが、予備選が導入されて「公明正大な自民党」の宣伝の場になったのも一時期、少なくとも今回は、議論すれば負ける「1強」勢力が、傍若無人に圧力と恫喝を展開した選挙だったらしい。
 石破候補が党員票で45%、議員票で50票を超えたことで、「安倍圧勝」は崩れたというが、総裁に選ばれたご本人はお構いなし。最初の挨拶で「憲法改正を頑張ろうじゃありませんか」と口にした。選挙前、麻生派は「参院選前に国民投票を」とわざわざ要請、新総裁会見で、首相は公明党に公然と改憲への期待をかけた。「臨時国会中に憲法改正案の国会提出や発議は無理」とメディアは言うが、首相があきらめていない以上、あとは「安倍やめろ!」の国民の運動しかない。
 気になるのは、国民投票法と一緒に改正された国会法で、憲法改正原案は、衆議院100人以上、参議院50人以上の議員の賛成で国会に提出できる(国会法第68条の2)こと。憲法審査会では各党派、少なくとも野党第1党が一致しないと…という話になっているが、首相の「議論ばかりしていても仕方がない」「共産党や立憲民主党がいるところでは決められない」という見方からいえば、この条項をどう使って発議に持ち込むか―。楽観は許されない。


南北首脳会談に期待する

3回目の南北首脳会談が実施された。「平壌共同宣言」が発表された。私はこの動きをまずは歓迎したい。
しかし、新聞社説を読むと、「歓迎」する立場、「北朝鮮の動きを信頼できない」立場に分かれている。
後者の立場の主張は、(1)北朝鮮の非核化にむけて具体的なプロテスが明らかでない、(2)アメリカのトランプ大統領が北朝鮮に不信感をもっている、(3)拉致問題への言及がない に集約される。
(1)については、まずは会談をして、非核化に向けて進んでいくことを約束したことを評価すべきではないのか。具体的なプロテスが明らかでないというなら、日本政府の「非核化」政策はどのくらい具体的な見通しがあるのか。核保有国と非核保有国の「橋渡し」の役割を果たすと主張しているが、これにどれぐらい期待できるのか。ましてや、「戦争被爆国」なのに、核兵器禁止条約制定の会議にさえ参加しないなんて、世界の諸国が日本政府を信頼しているだろうか。
(2)トランプ大統領の云々は、昨年の米朝会談をふりかえると明らか。会談直前までトランプ大統領は「会談はしない」、「会談途中で打ち切りもありうる」といいながら、会談は実現した。トランプ大統領の言動にふりまわされないでほしい。また、トランプ大統領の主張があたかも「正しい」という感覚で社説を書くのはやめてほしい。
(3)北朝鮮政府から日本政府に送られたメッセージは、韓国やアメリカを通してではなく、日本政府から北朝鮮政府に直接いってほしい。このことを記事にした新聞社は少ない。また、日本政府と北朝鮮政府の間に正式な外交ルートがないことぐらい、新聞社なら常識である。お互いに大使館を置いていない。そのもとは日韓基本条約にある。また、新潟で行われていた貿易も中断したまま。日本政府は拉致問題を最重要課題だと位置づけるなら、まずは、正式な外交ルートをつくることが先決だと思う。また、新聞社も拉致問題を論じるなら、日本政府と北朝鮮政府がどのようにしたら外交ルートをつくれるかも論じてほしい。

1年前を考えてほしい。だれが南北首脳会談の実現すると予想しただろうか、だれが米朝首脳会談の実現すると予想しただろうか。首脳会談が実現した成果をまずは評価し、そこで出された「共同声明」が履行できるように応援・支援するのが近隣国の責任ではないだろうか。
北朝鮮体制を是とする気持ちは毛頭ない。国内外への人権侵害には警告すべきだ。私には日本が北朝鮮体制にだんだん進みつつあると考えるが、これは偏見だろうか。


「人命第一」が上滑っていないか

 北海道胆振地方で9月6日未明に最大震度7を観測した地震では、安倍晋三首相が誤った死者数を公表していた。7日朝の関係閣僚会議で、安倍首相は「死者17人」と述べたが、この時点の死者は9人で、心肺停止の7人を合算していた。7日午後に菅義偉官房長官が訂正して陳謝した。「死亡」と「心肺停止」には厳然とした違いがある。日本で人の死を判定できるのは法律上、死亡診断書を作成する医師と歯科医師だけ。心臓、呼吸がともに停止し、蘇生が絶望的であっても、医師が判定するまでは死亡ではない。心肺停止と死亡との混同は、人命軽視に等しい。
 安倍政権は行政上の不始末の実質的な責任を、官僚に取らせる例が目立つ。今回の誤集計も事務方の責任にされそうだが、果たしてそうか。安倍首相は6日の地震発生当日、「政府としては人命第一で、政府一丸となって、災害応急対応に当たっていく」と話していた。本当に首相自らが「人命第一」で臨み、その姿勢が政権、政府内に貫徹されていれば、「死亡」に「心肺停止」を足してしまうような信じられないミスは起きないだろうし、仮に起きてももっと早くに気付き、訂正することができたのではないか。
 実は前日の6日午後にも、警察庁が「死者5人、心肺停止4人」としていた時間帯に、安倍首相は「死者9人」と公表していた。7日朝、関係閣僚会議が開催される前の段階で、死者数は「9人」と「5人」の二つの数字が報じられていた。客観的にも、首相自身がミスに気付くべき機会があったと言える。危機管理をアピールし自民党総裁選を有利に戦おうとの「私心」から、「人命第一」が上滑りしていたのではないか。
 さて、この誤集計を東京発行の朝日新聞、毎日新聞、東京新聞は8日付朝刊の1面で報じた。驚いたのは、読売新聞と産経新聞だ。産経新聞は記事なし。読売新聞は、地震に伴う様々な動きを時刻とともに羅列した社会面の「ドキュメント」の中で、わずか4行触れただけだ。気付かなかった読者が多いのではないか。官房長官が公式の場で陳謝した政権の不祥事であり、広く社会で共有されるべき情報だ。いくら安倍政権に好意的だとはいえ、権力者への過ぎた忖度は、マスメディアとして自殺行為だ。


広告による異常な印象操作

南日本新聞2面(下5段)に「安倍総理と日本を変える」(月刊Hanadaセレクション)
の広告がありました。
南日本だけでなく、地方紙(共同通信)で同じような広告があったようです。
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/369.html

自民党は総裁選挙にあたり、新聞社などメディアに、「公正・中立」な報道を求める通知を出した。これじたい、異常なことだし、憲法上も許されることではない。
メディアがこの通知に従うだけでなく、安倍情報を積極的に報道することは、メディアの使命を忘れている。メディアは政府には距離をとること、政府への批判的な姿勢をとることが、その使命だとぼくは思う。

「自民党総裁選挙 今日告示」の記事の下にこのような広告がある。
新聞社がいうには、「記事」と「広告」は別だ、という。しかし、5段組の広告を見せられた読者にはそのような印象はいだかない。「印象操作」(安倍首相がお嫌いな)が働くとしか思えない。

安倍首相が、自衛隊幹部を集めた場で、公的な場で、「憲法改正を促すような」訓示をしても、新聞は大問題としてあつかわない。
憲法発議は国会の権能、内閣の権能ではない。しかし、内閣が憲法改正をしきりに主張している、これは大問題。首相としての資格はない。

1980年9月3日の朝日新聞の1面の記事の「見出し」。
「護憲運動を逆批判」、「法相(=奥野)、重ねて「改憲」強調」、「罷免要求は脅迫」、「9条解釈 合意必要」

憲法改正を主張する首相、大臣は新聞の批判対象だった。また、首相も大臣も任期中は控えた。それがいま堂々と主張する。新聞もそれほど批判しない。
国会は「国民の代表機関」。国民の多数は、緊急に憲法改正を望んでいない。それなのに、国会、内閣が憲法改正をしきりに主張。これは異常な状態だ。異常と新聞は認識できないのか。


安倍首相の「憲法改正」発言に、メディアはもっと講義せよ。

首相が「憲法改正」を主張することは憲法上許されないことです。
憲法では、「国会が発議」するとなっています。
法律案と違って、内閣に発議する権能はありません。
安倍首相は、国会では、「自民党総裁」と立場と「内閣総理大臣」の立場を巧妙に使い分けています。
私的グループでの発言ではありません。自衛隊幹部を集めての場での発言です。
重みが違いすぎます。
もっと、メディアは追及してもいいと思います。内閣総理大臣につながる「自民党総裁」としての資格に欠ける、総裁出馬を辞退せよ、ぐらいの論調があってもいいと思いますが。

第52回自衛隊高級幹部会同 安倍内閣総理大臣訓示を読んで、それでも、メディアは「沈黙・沈黙に近い」ですか。
http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201809/03jieitai_konshinkai.html


泊原発と北海道地震

 北海道胆振地方で6日に発生した最大震度7の地震は、大規模な土砂崩れなどが発生した厚真町や苫小牧市などを中心に多大な犠牲をもたらした。四国や近畿を横断した台風21号に続く被害で、改めてこの国が災害大国であることが浮き彫りになった。
 北海道地震では、北海道電力泊原発(泊村)の外部電源が喪失した。原発事故が起きた場合、原子炉や使用済み燃料プールにある燃料を冷却するなど必要な措置を施すためには外部電源や非常用ディーゼル発電機を用いなければならない。今回は非常用ディーゼルは動いたが、仮に原発が稼働中で、双方の電源が起動しなかったとしたら–。考えるだけでも恐ろしい。
 再生可能エネルギーの技術は日々、進歩している。政府や「原子力ムラ」がいつまでも原発にしがみついている限り、核災害のリスクは減ることはない。
 地震や台風、豪雨など相次ぐ災害で、大切な命が失われている。減災や防災のためには言うまでもなく日ごろの備えや地域の共助が重要だ。そして国は、市民の命を守るために可能な限り災害リスクを減らす責任がある。


この絶えられない、時代錯誤

 平気でうそをつく。知り合いをえこひいきする。敵とみたらたたきつぶす。言葉が空疎である――。安倍政権下で進行してきた漫画のような政治の風景を象徴するような自民総裁選への立候補表明だった。8月26日午後、安倍晋三首相は鹿児島の桜島を背に、生中継中のテレビカメラに向かってこう語った。
 「来年、皇位の継承、そして日本で初めてG20サミットを開催します。そしてそのさらに先には、東京五輪・パラリンピックが開催されます。まさに日本は大きな歴史の転換点を迎える。今こそ日本の明日を切り開くときです。平成のその先の時代に向けて、新たな国づくりを進めていく。その先頭に立つ決意であります」
 安倍首相は、山口=長州の出身である。明治維新を牽引した薩長を意識したのだろう、立候補表明直前に鹿児島選出議員が開いた会合の演説で、「薩長で力を合わせて、新たな時代を切り開いていきたい」と語ったという。
 戊辰戦争で薩長から「賊軍」のレッテルを貼られた会津の人々の子孫がこの映像をみたら、どう思うか。安倍首相にそんな想像力を期待するのはどだい無理だが、ここで言っておきたいのは、明治維新と現在を重ね合わせる時代錯誤である。
 安倍首相にとっては、日本国憲法の下で作ってきた「国のかたち」を憲法改正で作り変えること=「新たな国づくり」が、悲願である。幕藩体制を倒し、近代国家の道を歩み始めた明治維新が重なってみえて仕方がないのだろう。
 政治に求められているのは、「新たな国づくり」という空疎な言葉ではない。
 少子高齢化が進み、人口減に転じた日本社会で持続可能なセーフティネットをどう築いていくのか。未来の世代に押し付け続ける途方もない財政赤字をどうするのか。原発に依存しない社会をどう作るのか……。
 維新と今を重ねることで、真に向き合うべき課題から国民の目をそらす。そして、自らの政治的信念を満足させるため、国民にとっては優先順位の低い憲法改正に邁進する。
 漫画ではない。この絶えられない時代錯誤は、究極のプロパガンダなのかもしれない。


秋田県立金足農業高校校歌

 100回記念の甲子園大会、秋田県立金足農業高校が決勝に進出したことで、とりわけ盛り上がった。残念ながら決勝戦では聴けなかったが、全身を大きく後ろにそらして全力で校歌を歌うナインの姿が評判だった。その歌詞は以下のとおり。

♪可美しき郷(うましきさと) 我が金足
 霜しろく 土こそ凍れ
 見よ草の芽に 日のめぐみ
 農はこれ たぐひなき愛
 日輪の たぐひなき愛
 いざやいざ 共に承けて
 やがて来む 文化の黎明(あさけ)
 この道に われら拓かむ(ひらかむ)
 われら われら われら拓かむ

 作曲は「春の小川」「朧月夜」「故郷」など、唱歌を多数作曲した岡野貞一で、作詞は近藤忠義という人。こんな経歴の方だった。
〈国文学者。神戸市生まれ。1927年(昭和2)東京帝国大学国文科卒業。32年以降マルクス主義に基づく日本古典文学研究を発表、「歴史・社会」学派の中心人物として活躍。34年法政大学教授。『日本文学原論』(1937)などを刊行、軍国主義的思潮に抗し44年検挙…〉(小学館・日本大百科全書より)

 法政大学での教え子の追想によると、近藤先生は1932年に思想事件で東京音楽学校の講師を解任された頃に、金足農業の校歌を作詞したという。そういう観点で見ると、歌詞には農業と労働に寄せる愛情と、人類の努力で開かれる未来への希望に満ちているようで、感慨深いものがある。
 近藤先生は日本体育大学(当時は日本体操学校)の校歌も作詞していて、1944年に治安維持法違反で警察に検挙されたとき、拘留されている玉川警察署の塀の外から日体大の学生たちがその校歌を歌って先生を励ました、というエピソードもあるそうだ。
 近藤先生は生前、「野球もよいが学問に集中しなければ困る」と言っていたそうで、野球はお好みでなかったようだが、地元出身の生徒が中心の、人数の少ない農業高校が、全力で校歌を歌いながら甲子園の決勝にまで勝ち進んだことを、天国で喜ばれているのではないだろうか。