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新聞は「ヘイトスピーチ」にあまい

毎日のように、安倍政権の閣僚、自民党議員から「ヘイトスピーチ」が流される。二階幹事長の発言は、今まで自民党議員が何度も繰り返してきたものだ。安倍政権、自民党にはそのような本質があることを新聞はもっと批判すべきだ。「ヘイトスピーチ」はネットでは「常識」になっている。翁長知事が「沖縄慰霊の日」に平和宣言をした。その姿は痛々しかった。しかし、ネットのなかでは人格を否定した言葉が乱雑している。国会で堂々と「ガン患者」に暴言をはく、こんなことが許されていいはずはない。新聞は「ヘイトスピーチ」にあまりにもあまいのではないかと思う。日本国憲法は「個人の尊重」、「個人の尊厳」を規定している。憲法尊重義務があるものがそれを否定する発言をくりかえしているのを放置していいのか。新聞社の使命が問われる。


田畑忍元同志社大学学長一家の戸籍抹消事件

5月29日の共同通信は「「共産と同一行動は問題」 3人出産発言を巡り 自民、女性県議を注意」を報道した。私は、これは重大な問題だと思っている。石破幹事長(当時)が沖縄県選出国会議員に「米軍基地問題」へ転向を求めたことと同じだと思っている。
以下、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鹿児島県本部作成資料(2000年10月10日)から引用する。

田畑忍元同志社大学学長一家の戸籍抹消事件

奄美大島は国防上の重要な拠点として古仁屋要塞の構築が始まり、これに反対したアナーキストを弾圧し、カトリック排撃運動が名瀬で起こり1934年暮れにはすべての宣教師が奄美大島から引き揚げざるを得ない状態にエスカレート、1935年には古仁屋要塞司令官であった笠(りゅう)蔵次陸軍大臣が名瀬町長にまつりあげられ5年間勤めましたが宣教師が居なくなった教会の跡に町役場を移し、信者を集め信仰を捨てなさいと話し「もし、余が言うことが間違っておればこれをもって余を刺せ」と、自分の軍刀を投げ出した話は有名です。また、宗教転向書をたくさん印刷して署名捺印を強制したり、防空演習にかこつけて、信者の家を焼夷弾の投下の的にして、家財道具から店の商品も台無しになるほど水をぶっかける、こういう蛮行が展開された。
こういうなかで名瀬ゆかりの憲法学者、田畑忍さん一家の戸籍抹消事件が起こりました。8歳下の弟・田畑しげしさんが全協食品部支部責任者、全協京都支部協常任として活動中、1932年5月に共産党に入党、9月検挙、11月起訴されました。当時は、本籍地の役場に通知が来るしくみでしたが、名瀬の町会では、急遽招集が行われ、「非国民一族の本籍が名瀬においていくわけにはいかない」という決議がされ、それを田畑家につきつけられ、お父さんは、泣く泣く本籍を名瀬町金久村から京都府東山区に移さざるを得なかったのです。「昭和10年3月22日全戸除籍」となっています。共産党員、アカ、非国民と言われれば、戸籍まで抹消される、人権もない暗黒の時代でした。
名瀬市議会では治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鹿児島支部(当時)の陳情にもとづき審議、こうした戦前の痛恨の反省にたち1994年10月5日「治安維持法犠牲者への国家賠償を求める意見書」が全会一致で採択されました。


強きに弱く? 日大報道と加計報道

 下火になった感があるが、テレビのワイドショーの洪水のような日大報道はすさまじかった。反則行為をしたアメフト部の選手の真摯な会見に対し、明らかにウソをついているとしか思えない監督やコーチ。記者会見をはじめ大学当局のお粗末な対応。不正行為の背景に何があったのかを追及するのはメディアの仕事だが、「いやーな感じ」を覚えたのは、日大には「理事長、なぜ出てこない!」とたたみかけるリポーターたちが、どういうことか、加計学園には腰が引けているからだ。
 日大問題と加計学園問題。証拠があるにもかかわらず、トップが関与を否定しているという点で構図は同じだ。
 証拠とは何か。日大問題では危険行為をした選手の、上司による指示を認めた真摯な証言であり、加計学園問題では愛媛県庁の職員が残した詳細な面談記録だ。そして、日大の監督やコーチは指示を否定し、安倍首相や加計学園の理事長は記録にあった二人の面談を否定している。
 繰り返すが、日大問題を追及するのはわかる。なぜ、それと同じエネルギーを加計問題に向けないのか。加計問題が首相という最高権力と関係しているからか。で、「落ちた犬はたたけ」「強きに弱く」の日本の大手メディアの体質を改めて見せつけられ、「いやーな感じ」に襲われたのである。
 今週の19日、加計学園の加計孝太郎理事長が初めて会見したが、25分で打ち切られた。メディアは執拗に食い下がっていいはずだが、日大の会見打ち切りで見せた怒りは感じられない。会見を知らせるファクスが地元の報道各社に届いたのも2時間ほど前で、参加者は地元の記者に限られたという。
 強い者に弱いメディアの足元を見透かされ、結果、なめられたのだ。


記者が質問できないと国が滅ぶ

 先日、韓国のドキュメンタリー映画『共犯者たち』の上映イベントに関わった。梅雨らしい雨模様の天気だったが、立教大学の会場に600人を超える人々が集まった。
 「共犯者」というのは、韓国で保守政権におもねったメディアの幹部たちを指す。韓国では、廬武鉉大統領までの民主政権の下では言論の自由が花開いたが、李明博・朴槿恵と続いた保守政権の時代に、報道機関は冬の時代を迎える。政府が放送局の社長人事に介入し、政府を批判する番組は打ち切られ、抵抗する制作者たちは異動か解雇。『共犯者たち』の監督であるチェ・スンホ氏も、韓国の公共放送の一つ、MBCの調査報道部にいたが、政府批判番組が名誉棄損で国から訴えられ、解雇された。彼らは「ニュース打破」というインターネットの独立メディアを立ち上げ、権力にへつらう経営陣を追いかけまわし、直撃インタビューを試みる。
 政権の御用放送と化した放送局では、放送労働者のストライキも展開される。一人のプロデューサーがスマホの自撮りで動画中継して「社長は出ていけ!」と叫ぶと、労組のメンバーも呼応して、みんなでスマホ中継を始める。「たたかっている人を一人にしてはならない」。労組委員長の言葉だ。
 この映画では、箴言のようなセリフがいくつも発せられる。命がけでたたかう者だからこその説得力がある言葉たちだ。
「記録するだけでも意味がある」「暗黒の時代にも、私たちは沈黙しなかった」
(政権の手先となったメディア関係者に向けて)「歴史を恐れなさい」
(質問に答えない大統領に向けて)「記者が質問できないと国が滅びますよ」


日大アメフト事件と日本人

 日大アメリカンフットボール部の違反タックル問題は、一大社会問題になっているが、ここで考えたいのは、こういう事件を引き起こしてしまう日本人の「心性」だ。
 1:ルールがあって、いけないことだとわかっているが、「追い込まれる」とやってしまう。宮川選手は「自分の弱さ」と表現したが、それは彼だけの問題ではない。
 2:内田監督にしても、森コーチ、井上コーチにしても、「反則」はわかっていたが、「勝つためには仕方がない」という自分の論理で突っ走った。本人は目がくらみ、チームはそれが「制度」になって、「勝てば官軍」、だれも文句は言えなくなった。
 3:いったん「勝利」で「完成」すると、「仕組み」はどんどん精密になり、高校から大学、就職に至る人生コースが決められてしまう。その流れから外れるには、相当の勇気を必要とする。
 日大アメフト問題は、①「指示」があったかなかったか②「壊せ」が「積極的にやれ」なのか「けがをさせろ」なのか―が焦点のように見えているが、実は、無言の圧力、あるいはそういう「いい方」で、指示が行われる状況が問題なのではないか。
 「わかるよな」と指示して悪いことをさせる会社、「総理は会っていないのだから、会った記録はすべて消そう」と考え、国会も歴史も直してしまって平気な人たち…。
 このあと、日大が理事長以下が責任を取って、全く違う方向に進んでいけるかどうか。刑事責任を問えるのか、内田監督、井上コーチと宮川君は「共同正犯」なのか、宮川君を2人の「正犯」の「道具」だったとして無罪にできるのか。勝手に謀略で戦争を始めて、結局それを追認してしまったかつての日本社会と違うのか、同じなのか…。
 政治が率先してウソと欺瞞を広げている中で、日本社会をこれからどうしていくのか、変えられるのかどうか。わたしたちの考え方、生き方も問いかけられている。


疑惑とマンネリズム

 森友学園、加計学園を巡る疑惑に新たな展開があった。
 まず森友学園。財務省は5月23日、大阪の国有地払い下げについての森友学園側との交渉記録を国会に提出。その中には、安倍晋三首相の昭恵夫人付の政府職員から問い合わせがあったことを記したメモもあった。夫人付職員からとして「優遇を受けられないかと総理夫人に照会があり、当方からお問い合わせさせていただいた」と記されていた。政府職員が昭恵夫人の知らないところで勝手に動くわけがない。財務省への照会は昭恵夫人から指示があったとみるべきだ。この状況を常識的に解釈すれば、まさに昭恵夫人が国有地払い下げに関与したというほかない。昨年2月に首相は、自分や昭恵夫人が国有地売却に関係していたということになれば首相も国会議員も辞めるとタンカを切った。約束通り、首相と国会議員を辞めるべきだ。
 加計学園を巡っては5月21日、愛媛県が新たな文書を国会に提出。県職員が加計学園側から聞いた話として、2015年2月25日に加計孝太郎・学園理事長が安倍首相と面会し、国際水準の獣医学教育を目指すと説明したのに対し、首相は「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントしたと記されていた。県職員がこんな話をねつ造する必要はない。少なくとも加計学園側が県職員にそういう情報を伝えたことは間違いがない。獣医学部の構想を知ったのは2017年1月との首相の主張の信ぴょう性が大きく揺らいでいる。
 安倍首相はと言えば、夫人付き職員の財務省への照会については、値下げの交渉ではないから問題ないと言い放ち、愛媛県の新文書に対しては、何の裏付け資料も補強資料もないのに加計理事長と自身の面会を否定した。この自信と余裕がどこから出てくるのかよく分からないが、気になるのは世論の動向。5月に入って、20日までにマスメディア各社が実施した世論調査では、加計学園の問題を巡って「疑惑は晴れていない」が83%に上る(朝日新聞調査)など、個別の不祥事には厳しい結果が並んだ一方で、安倍内閣の支持率はそろって下げ止まり、ないしは上昇に転じた。依然として不支持率が上回るとは言え、安倍首相は「もはやモリカケは怖くない」との心境だろうか。
 「ジャーナリズムはマンネリズムとの闘い」とは故原寿雄さんの言葉。森友学園、加計学園を巡って何が問題なのか、なぜ問題なのか、繰り返し伝えていかなければならない。


立ち上がったメディアの女性たち

 〈安倍晋三殿 財務省の前事務次官、福田淳一氏の直接の上司であった麻生太郎財務相の「はめられた」との主張は被害者の女性に対する侮辱であり、二次的な加害行為にあたります。麻生氏はさらに「セクハラ罪という罪はない」などと繰り返し発言しました。刑法に抵触しなければ騒ぐ問題ではないと言わんばかりの発言は、セクシュアル・ハラスメントという人権侵害のもつ意味を矮小化するものであり、人間としても、政治家としても、許せるものではない。安倍首相自ら、麻生氏に対して本来なすべき被害当事者への謝罪や、様々な発言の撤回・謝罪を行うよう求めます〉
 新聞やテレビ、出版などジャーナリズムに関わる有志による「メディアで働く女性ネットワーク」が15日、安倍首相あてに、こんな内容の要請書を提出した。麻生財務相への要請書では「自らセクシュアル・ハラスメントの研修を」とさらに厳しく批判。週刊新潮が報じた「男を番(記者)にすればいい」との発言には「文句を言うなら職を奪うと言わんばかりの女性記者に対する脅しであり、決して許せない」と反発する。
 財務省前事務次官の問題が発覚したのをきっかけに、メディアの女性たちが立ち上がった。報道関係者と性暴力被害者らによる「性暴力と報道対話の会」は17日、緊急アンケートの結果を公表した。回答を寄せた女性(計103人)のほとんどがセクシュアル・ハラスメントの被害を受け、その半数が10回以上、被害に遭っているという深刻な実態が浮き彫りになった。
 省庁や役所、企業での人権研修やハラスメント防止法など法整備、被害者のケアなど課題は山積みだが、「女性の人権を尊重しましょう」と、閣僚や官僚らに向かって「教育」をしないといけないとは。
 米国でわき起こった「#Me Too」運動。「#We Too」「#With You」と日本でも連帯の輪が広がっている。被害はさまざまなところで起きている。一過性のものにせず、社会全体の問題にしなければいけない。


「正常化」って何だ?

 朝日新聞の5月9日夕刊の見出しは、『国会、19日ぶり正常化 野党復帰 働き方改革、焦点』。もちろん、朝日だけではない。野党が国会審議に戻ることが決まり、新聞各紙、テレビ各局に「正常化」の言葉が踊る。野党の審議拒否が「正常」でないかのような印象を与えていないか。
 「異常」はいまも続いている。
 10日にあった衆参両院の予算委員会。加計学園の獣医学部新設計画をめぐり、柳瀬唯夫・元首相秘書官(現経済産業審議官)が参考人として出席し、加計学園関係者との官邸で計3回面会したことを明かした。
 これまで柳瀬氏は関係者との面会について「記憶にない」を繰り返してきた。一転して記憶が戻ったのはなぜか。だれでも気になるが、その点を問われると、「聞かれたことを一つひとつ答えて、全体像が見えなくなってしまった」と意味不明の弁解をした。もっとも、首相への報告を聞かれると即座に「ない」。ここは記憶が明確らしい。
 虚偽答弁。公文書の改ざん、隠蔽。データの捏造。セクハラ。暴言……。「安倍一強化」で「政」と「官」の劣化をこれでもかと見せつけられてきたが、明らかに噓をいっているとしか思えない柳瀬氏の発言をテレビで聞きながら、「異常」な事態がいつまで続くのか暗澹たる気分になった。
 異常事態の背景にあるのは、安倍政権下で広がる無責任な政治の姿である。
 「信頼回復に向けて必ず全容解明し、うみを出し切る」。安倍晋三首相の決まり文句だが、こんな言葉を間に受ける人がいるだろうか。数えればきりがないが、例えば、2013年の五輪招致のプレゼンテーションでは、東京電力福島第一原発の汚染水について「アンダー・コントロール」。
 政治家は言葉に責任を負う仕事だが、安倍首相の言葉からは一貫して責任のかけらも感じられない。言葉に責任を持つ政治が復活しない限り、「正常化」なんて言えない。