今週のひと言

地方選挙の課題

 いよいよ統一地方選。安倍首相は16日、防衛大学校の卒業式で、「自衛隊が強い誇りを持って職務を全うできる環境を整えるため、全力を尽くす」と決意表明。改めて自衛隊を憲法に書き込むという改憲への執念を見せた。
 これまで自民党は、「地方選と国政は別」と議論を避けてきたが、今回は地方選挙でも、「国民世論を呼び覚まし、憲法改正に向けて道筋をつける」と、「改憲」を打ち出した。
 地方選挙で国政の問題を主張するのは野党・革新系、国政問題を隠して「どぶ板」で多数を取るのが保守・自民党系―という構図も変化している。

 自民党は昨年来、地方支部に「改憲推進本部」を作り、地元の改憲団体と一緒に集会を開くなどして「改憲機運」を高める、としている。一例は、自治体への自衛隊適格者名簿の提出要請。2月14日には、全所属国会議員に、自衛官募集の関連名簿提出を地元市町村に促すよう求める通達を出した。
 小野寺五典安全保障調査会長らの名前で、「募集に関する名簿を紙媒体や電子媒体で提出するよう要請しているにもかかわらず、市町村の約六割が提出していない」とし、「募集事務の適正な執行」だとした。冗談ではない。民間はもちろん、警察や消防の募集にも住民票から適格者の年齢で名簿の一覧を出すなどということはない。
 「一強」の国会情勢に対し、自治体議会が反対の請願を採択したり、決議や要請書を上げる例が増えている。この自衛隊募集でも同様だ。「安倍9条改憲」が導き出すのは、この「自衛隊員の候補者抽出」から「勧誘」、「説得」…、勇んで「出征」だ。地方議員は「関係ない」とは言っていられないはずだ。

 地方選の候補者に、課題を問い掛け「あなたは中央直結の地方自治体」を作るのか、それとも「中央政治にもの申す、住民の声を代表する地方議会」を作るのか、を問い掛けるのは、メディアと住民の責任だろう。

 あなたが投票する候補者は、どう言っていますか?


立ち上がる市民

 統一地方選の一つとして実施される広島市長選(4月7日投開票)に「憲法と平和を守る広島共同センター」の代表で、元広島市職労書記の川后(せんこう)和幸氏(67)が無所属で立候補する。市民団体「市民の願いにこたえる広島市長を誕生させる会」の世話人で今月初め、自ら出馬を表明した。
 同会は「核兵器禁止条約の署名・批准を日本政府に本気で働きかける市長を誕生させよう」と年明けに結成された。きっかけをつくったのは一昨年末、オスロであったノーベル平和賞の授賞式で、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)を代表して核の被害を訴えたサーロー節子さん(87)=カナダ在住=だ。
 広島で被爆したサーローさんは昨秋、帰郷し、広島の松井一實市長に「戦争被爆地の広島市長には核兵器禁止条約を成立させるために道義的責任を果たしてほしい」と要請した。これに対して松井市長は「とんがらなくてもいい。ドングリの背比べでいきたい」と返答したと報じられている。
 「市長の姿勢を変えるために一人一人が声を上げて行動を」。サーローさんの呼びかけが、広島の市民を立ち上がらせた。
 一方の首都東京。首相官邸前で14日、「FIGHT FOR TRUTH!私たちの知る権利を守る」をスローガンにした抗議行動があった。
 新聞や出版といったマスメディアの労組などでつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」(MIC)が主催し、現役の記者や弁護士、市民、野党議員らが参集。官房長官の記者会見で質問の制限や妨害に遭っている東京新聞の望月衣塑子記者は「民主主義が衰退する」と声を上げた。
 4月の統一地方選の次は7月の参院選だ。平和、環境、報道の自由をどう守るのか。次の世代にどんな国を残すのか。私たち主権者の行動がそのカギを握る。


特捜検察の事件とメディアの役割

 特別背任などの罪で起訴されている日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が3月6日、東京拘置所から保釈された。昨年11月に東京地検特捜部に逮捕されてから身柄拘束は108日に及んだ。特捜部の捜査は続いており、前会長は起訴事実をすべて否認。公判前整理手続きも始まっていない。その中での保釈は異例だという。これまでも特捜検察の事件では、長期の身柄拘束が伴う「人質司法」が批判されてきた。ゴーン前会長の事件で国際的にも批判を浴びたことが、裁判所の判断に影響を与えたのでは、との指摘もある。保釈翌日の7日付の新聞各紙の社説では、朝日新聞や日経新聞のほか多くの地方紙が「人質司法を脱する契機に」と説いた。
 特捜部の捜査にはほかにも検証が必要なことがある。例えば昨年11月に最初にゴーン前会長を逮捕した際の発表だ。容疑は、日産自動車の有価証券報告書に前会長の報酬を約50億円少なく記載したとの内容。普通に受け止めれば、前会長は手にした報酬のうち約50億円を隠蔽していたのだろうと考える。しかし、実際には未払いで、検察の発表の中でそのことは明らかにされなかった。「50億円は未払い」と分かっていれば、事件と前会長について一般の人が当初抱いた印象は異なっていたかもしれない。なぜそんな発表になったのか、踏み込んだ検証記事は今に至るまで見当たらない。
 逮捕直後から日産自動車は前会長の解任に動き、「社内調査」についての情報発信も積極的だった。結果として詳細も真偽も不明のまま「金に汚く、会社を私物化したゴーン」の印象が広まった。そのことがその後の捜査の追い風になった観は否めない。前会長の逮捕に向けて、特捜部と日産自動車の間でどんなやり取りがあったのか。ハードルは高いかもしれないが、検証は不可欠だ。
 かつて特捜検察は、厚生労働省官僚だった村木厚子さんを逮捕(後に無罪確定)した事件で、大阪地検特捜部の主任検事が証拠を改ざんするという不祥事を引き起こした。捜査機関として極限までの堕落。その最大の要因は特捜検察のおごりだが、メディアも「巨悪を眠らせない」などと無批判に特捜検察を持ち上げ続けていた。メディアは今一度、その反省に立って、検察の捜査を監視し、検証すべきだ。


これがジャーナリズムか、読売新聞

 読売新聞の朝刊政治面で「皇位継承のかたち」という連載が2月28日からスタートした。「退位と即位にまつわる儀式の『すがた』はどのような背景で決まったのか。3回に分けて検証する」という。検証とは「実際に調べて証明すること」(広辞苑)だが、読後感を一言でいえば、政府の言い分の引き写し。何かを証明したとはおよそ言えない読み物だ。
 例えば、皇太子の新天皇即位に伴う儀式「剣璽等承継の儀」は、神話に由来する三種の神器のうちの剣爾を持ち込むもので、違憲の疑義が憲法学者らから投げかけられ、大阪高裁判決(1995年3月9日)も「政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」と指摘している。
 ところが、読売新聞は、①横畠裕介内閣法制局長官が「憲法上問題はない」との見解を示した②皇室経済法で剣爾が「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」と位置づけられている——という点のみから、問題はないという結論を導き出している。
 一連の儀式の手続きも、「憲法に基づく国民主権の姿勢の表れ」と手放しで評価する。しかし、前回の「即位正殿の儀」について大阪高裁判決は、「天皇が主権者の代表である海部(俊樹)首相を見下ろす位置で『お言葉』を発したこと、同首相が天皇を仰ぎ見る位置で『寿詞』を読み上げたこと等、国民を主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定できない」と述べている。しかし、この論点も見事スキップしている。
 そういえば、24日にあった沖縄県民投票の翌日、在京大手紙の朝刊を手にとると、1面トップで扱ったのは、「朝日」と「毎日」で、読売新聞の扱いが最も小さかった。3面の見出しも「投票率52% 広がり欠く」「『反対』最多 影響は限定的」と、県民投票を矮小化しようとする意図があからさまだった。
 これがジャーナリズムか。政府に追随して恥じない、自らの報道を検証することをお勧めする。


記者の質問制限・その後

 首相官邸による東京新聞・望月衣塑子記者への記者会見での質問制限をめぐっては、新聞労連の抗議声明以降、いくつかの動きがみられた。
 マスコミ関係の労働組合で組織する日本マスコミ文化情報労組会議が「首相官邸の質問制限・妨害行為(記者に対するハラスメント)に抗議する」と題した声明を2月18日に公表。記者が質問中なのに、再三にわたって官邸の報道室長が「簡潔にお願いします」と妨害し、質問内容は「事実誤認」と決めつけて排除していることを「権力者による記者に対するハラスメント(いじめ、嫌がらせ)行為」と断じている。
 また、メディア研究者、ジャーナリスト有志などによる「官邸による取材・報道の自由侵害に抗議する緊急声明」も2月19日に発表され、国会議員会館で記者会見が行われた。「事実認識を内閣記者会に共有したいなどとすることは自由で批判的な質問をする記者の官房長官記者会見からの排除にもつながりかねない」などとするこの声明には、5日間で346人が賛同している。
 その一方で、当の新聞側はどうだろうか。いくつかの新聞が社説などで官邸の対応を批判していたが、質問制限された当事者を抱える東京新聞は、事実報道はするものの社としての態度は明確に表明してこなかった。それが2月19日朝刊でようやく「知る権利を守るために」と題する社説を掲げ、翌20日には1ページを使って「検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ」とする詳細な検証記事を出した。ここでは、官邸側から東京新聞に対して、一昨年秋から9回にわたって文書での申し入れがあったことも明らかにされた。
 さて、未だに何も聞こえてこないのは、官邸から文書を出された当の内閣記者会だ。その昔、一致団結して第一回帝国議会の取材許可を要求したのが日本の記者クラブの始まりだが、所属記者に対する個人攻撃に際して、内閣記者会は団結して意思表示しないのか。


ベネズエラには「干渉」より「援助」を

 こんなことが許されていいのだろうか?
 勝手に「制裁」と称して経済を締め付け、昨年5月、選挙で68%の支持を得たマドゥーロ大統領について「米国は結果を受け入れない」と宣言する。挙げ句の果てに、この1月、輪番制で回ってきた極右のグアイドー議員が国会議長になった機会に、「暫定大統領」を宣言させ、マドゥーロ大統領の就任式の妨害を図る。どう見ても「法の支配」と「内政不干渉」に反する「国際犯罪」。クーデターだ。
 しかし、日本から見れば地球の裏側のことで、あまり報道されないうえ、情報は米国による「西側報道」ばかり。国民はほとんど知らされないまま、日本政府は2月5日、河野外相談話で、グアイドー支持を表明した。
 「米国の裏庭」とされていた中南米は、米国CIAの暗躍にもかかわらず、民主化が進んできた。米国はキューバのカストロ、ベネズエラのチャベスといった指導者が世を去ったのを機会に、覇権を取り戻そうと躍起。ボルトン大統領補佐官は、昨年11月、キューバ、ニカラグア、ベネズエラ3国を「専制のトロイカ」と呼び、「これは無限の人道的被害の原因であり、巨大な地域の不安定の動力。西半球の共産主義の不潔な揺りかごだ。米国は米国の要望が満たされるまでこれらの国々との外交関係を断絶する」と露骨に表明。OAS(米州機構)に働き掛けている。
 米国は、国民生活の窮迫で「難民」「移民」が増加している、というが、数日、あるいは日帰りで隣国に買い物に行ったりするのは、この地域では珍しくないのだそうで、「人道的危機」はかなりオーバーな主張らしい。人道的問題があるなら「援助」すればいいので、「制裁」は何の役にも立たない。
 米国に追随し、無責任に内政干渉の声明を出す日本外交。これでいいのだろうか。


記者の質問制限を見過ごしてはならない

 新聞労連が2月5日、声明「首相官邸の質問制限に抗議する」を発表した。東京新聞の望月衣塑子記者が菅義偉・官房長官の記者会見で行った沖縄・辺野古での埋め立て工事に関する質問に対して、首相官邸が昨年12月28日、官邸報道室の上村秀紀室長名で記者クラブに、「事実誤認」「度重なる問題行為」として、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と申し入れたことに抗議する内容となっている。望月記者の記者会見からの排除を記者クラブに求めたに等しく、申し入れは到底受け入れられるものではない。
 この質問制限の申し入れと抗議声明を東京新聞のほか朝日、毎日、さらには安倍晋三政権寄りの報道姿勢が際立つ産経新聞ですらも、扱いの大きさはともかくとして、6日付朝刊紙面で伝えた。共同通信も記事を配信している。だが読売新聞は1日遅れの7日付朝刊。しかも、国民民主党が官邸報道室長から事情を聞いたことを短く報じただけで、新聞労連の抗議声明には触れていない。
 朝日新聞の報道によると、記者クラブ側は官邸側に「記者の質問を制限することはできない」と伝えたという。それは当然のことだが、要請を拒否すれば終わりという問題ではない。こうした要請が政権の中枢である首相官邸から報道側になされたことは、安倍政権には報道の自由とか表現の自由、さらには国民の知る権利を尊重する意思が欠落していることを如実に示している。そのこと自体、社会で共有すべき重要な情報だ。望月記者だから問題なのではない。だれであれ、記者の質問は制限されるべきではない。本来は昨年暮れ、申し入れがあった時点で、各メディアが即座に報じるべきだった。
 記者会見の質問は、記者が国民の知る権利に奉仕するために行うものだ。政権側から不当な干渉があっても「内輪の話。記事にする必要はない」などと考えていると、結果的に政権への忖度の連鎖にメディアも加わってしまうことになる。


ケストナーと井上ひさし

 動物たちが世界の子どもたちの平和のために立ち上がる――。ドイツの詩人・作家のエーリヒ・ケストナー(1899~1974年)の絵本をもとにした音楽劇「どうぶつ会議」が東京の新国立劇場・小ホールで上演されている(2月3日まで)。ケストナーの生誕120周年を記念した「こまつ座」主催の公演で、劇作家の故井上ひさしさんが約半世紀前に手がけた戯曲がよみがえった。
 キリンやライオン、ゾウなど北アフリカの動物たちが、戦争や貧困から子どもたちを守るために結集し、政治家らに要求を突きつける。原書は49年に出版され、5年後に邦訳本が岩波書店から刊行された。
 ケストナーを愛読していた井上さんは、子ども向けの舞台として戯曲を手がけ、劇団四季が1971年に初演した。「人間が人間を信じられなくなったらおしまいさ、ということを、ケストナーは自分の書くものに込めているのだよ」。井上さんが残した言葉を、三女の麻矢さん=現「こまつ座」社長=は覚えている。
 人間はすばらしい生き物だが、同時に嫌な面も持ち合わせている。「嫌な面ばかりが表に現れている人が権力を持ったら、世の中はあっという間にひどい有様になってしまう。そんな世の中になりつつある今、ケストナーの精神を皆さんに伝えたい」。そんな麻矢さんらの思いが今回の上演につながった。

◇            ◇

 安倍首相が1月28日の衆院本会議で行った施政方針演説は、まさに権力側の都合だけで出来上がった内容だった。厚生労働省による毎月勤労統計の不正調査問題について「国民のみなさまにおわび申し上げる」と陳謝。消費税率10%への引き上げについて、「10月断行」の方針を示した。「全世代型社会保障制度の実現」を掲げてはいるけれど軍事費重視をベースにした財源の分配を見直すことなく、市民に負担をかけるという構図だ。
 この国を変えるのは主権者である市民だ。そしてメディアが時の政権の実態をきちんと伝えてこそ民主主義が成り立つ。


憲法を蹂躙する首長、そして安倍政権

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画で、名護市辺野古の埋め立ての賛否を問う県民投票が実施される。ところが、2月14日の告示を前に驚くべきことが起きている。沖縄、うるま、宜野湾、宮古島、石垣の5市の首長が投票に不参加の意向を表明し、県内有権者の3割の人々が自らの意思を示すことができない事態になりかねない。
 「一番の問題は、憲法14条1項が定める『法の下の平等』に反することだ」。木村草太・首都大学東京教授(憲法学)が沖縄タイムスに緊急投稿している(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/368131)。今回の県民投票の根拠となる住民投票条例は、投票に関する事務は「市町村が処理する」こととしたが、反対する首長はこの事務処理を拒否する意向を示している。論点は拒否することが認められるのか。
 拒否できるとする論拠の一つが、市町村が県民に投票権を与えるかどうかの裁量権を持つという考えだが、木村教授は「『県条例が、そのような選択権を認めている』という解釈は、県民の平等権侵害であり、憲法14条1項に反する。合憲的に解釈するならば、『県条例は、そのような選択を認めていない』と解さざるを得ない」と明快だ。
 市民の政治的な意見表明という民主主義にとって最も大切な価値を奪うことを5市の首長はどう考えているのか。憲法の蹂躙にほかならない。
 もっとも、こうした事態を招く原因を作っているのは、県民の意向を無視して移設計画をごり押しする安倍政権である。憲法学者の有志が24日記者会見し、声明を発表した。同日時点で賛同者は131人。こう訴えている。
 「民主主義や地方自治のあり方が問われているという点においては日本国民全体の問題である。政府が新基地建設をこのまま強行し続ければ、日本の立憲民主主義に大きな傷を残すことになる」


韓国放送メディアの新しい動き

 韓国のメディアが、また一歩先を進んでいる。昨年、韓国のメディアの労働組合である全国言論労働組合が、KBS、MBC、SBSといった韓国の主要放送局と包括的な労働協約を締結した。もちろん、文在寅政権になって初めて実現したものだ。
 その中には、以下のような項目が盛り込まれている。
 「使用者と組合は、国民の知る権利を満たし、文化水準の質的向上のために公正な放送の実現に最善を尽くす」
 「使用者と組合は、公正放送の実現のために、不当な圧力や干渉を排除し放送の独立と制作の自律性を守るために最善を尽くし…」
 「使用者と組合は、報道、編成、制作責任者の任命と評価などに、制作従事者の意見が
 必ず反映される手順と方法を定めなければならない」
 このように、国民の知る権利とメディアの独立を保障することが明記されているほかに、労働者の権利を保護する条項も合意されている。
 「使用者は、労働時間の規制と法改正の趣旨に合致しない制度を導入しない」
 「労働時間の制度改善により、組合員の賃金が下落しないよう努力する」
 「労働時間短縮のために、不必要な業務と慣行をなくし、放送、制作のシステム改善、インフラの拡充、適正な人員確保のために努力する。常時・持続業務の人材補充の際には、正規職の採用を原則とする」
 「労働時間短縮において、正規職と非正規職を差別しない」
 韓国でも日本のように非正規労働の拡大が深刻な社会問題になっているが、民主政権になって、労使が協力してそれを乗り越えようという努力が感じられる。これらは、政権交代後、放送局のトップも民主的なリーダーに交代したという効果が大きいだろう。
 振り返って、日本はどうだろうか。