今週のひと言

記者が質問できないと国が滅ぶ

 先日、韓国のドキュメンタリー映画『共犯者たち』の上映イベントに関わった。梅雨らしい雨模様の天気だったが、立教大学の会場に600人を超える人々が集まった。
 「共犯者」というのは、韓国で保守政権におもねったメディアの幹部たちを指す。韓国では、廬武鉉大統領までの民主政権の下では言論の自由が花開いたが、李明博・朴槿恵と続いた保守政権の時代に、報道機関は冬の時代を迎える。政府が放送局の社長人事に介入し、政府を批判する番組は打ち切られ、抵抗する制作者たちは異動か解雇。『共犯者たち』の監督であるチェ・スンホ氏も、韓国の公共放送の一つ、MBCの調査報道部にいたが、政府批判番組が名誉棄損で国から訴えられ、解雇された。彼らは「ニュース打破」というインターネットの独立メディアを立ち上げ、権力にへつらう経営陣を追いかけまわし、直撃インタビューを試みる。
 政権の御用放送と化した放送局では、放送労働者のストライキも展開される。一人のプロデューサーがスマホの自撮りで動画中継して「社長は出ていけ!」と叫ぶと、労組のメンバーも呼応して、みんなでスマホ中継を始める。「たたかっている人を一人にしてはならない」。労組委員長の言葉だ。
 この映画では、箴言のようなセリフがいくつも発せられる。命がけでたたかう者だからこその説得力がある言葉たちだ。
「記録するだけでも意味がある」「暗黒の時代にも、私たちは沈黙しなかった」
(政権の手先となったメディア関係者に向けて)「歴史を恐れなさい」
(質問に答えない大統領に向けて)「記者が質問できないと国が滅びますよ」


日大アメフト事件と日本人

 日大アメリカンフットボール部の違反タックル問題は、一大社会問題になっているが、ここで考えたいのは、こういう事件を引き起こしてしまう日本人の「心性」だ。
 1:ルールがあって、いけないことだとわかっているが、「追い込まれる」とやってしまう。宮川選手は「自分の弱さ」と表現したが、それは彼だけの問題ではない。
 2:内田監督にしても、森コーチ、井上コーチにしても、「反則」はわかっていたが、「勝つためには仕方がない」という自分の論理で突っ走った。本人は目がくらみ、チームはそれが「制度」になって、「勝てば官軍」、だれも文句は言えなくなった。
 3:いったん「勝利」で「完成」すると、「仕組み」はどんどん精密になり、高校から大学、就職に至る人生コースが決められてしまう。その流れから外れるには、相当の勇気を必要とする。
 日大アメフト問題は、①「指示」があったかなかったか②「壊せ」が「積極的にやれ」なのか「けがをさせろ」なのか―が焦点のように見えているが、実は、無言の圧力、あるいはそういう「いい方」で、指示が行われる状況が問題なのではないか。
 「わかるよな」と指示して悪いことをさせる会社、「総理は会っていないのだから、会った記録はすべて消そう」と考え、国会も歴史も直してしまって平気な人たち…。
 このあと、日大が理事長以下が責任を取って、全く違う方向に進んでいけるかどうか。刑事責任を問えるのか、内田監督、井上コーチと宮川君は「共同正犯」なのか、宮川君を2人の「正犯」の「道具」だったとして無罪にできるのか。勝手に謀略で戦争を始めて、結局それを追認してしまったかつての日本社会と違うのか、同じなのか…。
 政治が率先してウソと欺瞞を広げている中で、日本社会をこれからどうしていくのか、変えられるのかどうか。わたしたちの考え方、生き方も問いかけられている。


疑惑とマンネリズム

 森友学園、加計学園を巡る疑惑に新たな展開があった。
 まず森友学園。財務省は5月23日、大阪の国有地払い下げについての森友学園側との交渉記録を国会に提出。その中には、安倍晋三首相の昭恵夫人付の政府職員から問い合わせがあったことを記したメモもあった。夫人付職員からとして「優遇を受けられないかと総理夫人に照会があり、当方からお問い合わせさせていただいた」と記されていた。政府職員が昭恵夫人の知らないところで勝手に動くわけがない。財務省への照会は昭恵夫人から指示があったとみるべきだ。この状況を常識的に解釈すれば、まさに昭恵夫人が国有地払い下げに関与したというほかない。昨年2月に首相は、自分や昭恵夫人が国有地売却に関係していたということになれば首相も国会議員も辞めるとタンカを切った。約束通り、首相と国会議員を辞めるべきだ。
 加計学園を巡っては5月21日、愛媛県が新たな文書を国会に提出。県職員が加計学園側から聞いた話として、2015年2月25日に加計孝太郎・学園理事長が安倍首相と面会し、国際水準の獣医学教育を目指すと説明したのに対し、首相は「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントしたと記されていた。県職員がこんな話をねつ造する必要はない。少なくとも加計学園側が県職員にそういう情報を伝えたことは間違いがない。獣医学部の構想を知ったのは2017年1月との首相の主張の信ぴょう性が大きく揺らいでいる。
 安倍首相はと言えば、夫人付き職員の財務省への照会については、値下げの交渉ではないから問題ないと言い放ち、愛媛県の新文書に対しては、何の裏付け資料も補強資料もないのに加計理事長と自身の面会を否定した。この自信と余裕がどこから出てくるのかよく分からないが、気になるのは世論の動向。5月に入って、20日までにマスメディア各社が実施した世論調査では、加計学園の問題を巡って「疑惑は晴れていない」が83%に上る(朝日新聞調査)など、個別の不祥事には厳しい結果が並んだ一方で、安倍内閣の支持率はそろって下げ止まり、ないしは上昇に転じた。依然として不支持率が上回るとは言え、安倍首相は「もはやモリカケは怖くない」との心境だろうか。
 「ジャーナリズムはマンネリズムとの闘い」とは故原寿雄さんの言葉。森友学園、加計学園を巡って何が問題なのか、なぜ問題なのか、繰り返し伝えていかなければならない。


立ち上がったメディアの女性たち

 〈安倍晋三殿 財務省の前事務次官、福田淳一氏の直接の上司であった麻生太郎財務相の「はめられた」との主張は被害者の女性に対する侮辱であり、二次的な加害行為にあたります。麻生氏はさらに「セクハラ罪という罪はない」などと繰り返し発言しました。刑法に抵触しなければ騒ぐ問題ではないと言わんばかりの発言は、セクシュアル・ハラスメントという人権侵害のもつ意味を矮小化するものであり、人間としても、政治家としても、許せるものではない。安倍首相自ら、麻生氏に対して本来なすべき被害当事者への謝罪や、様々な発言の撤回・謝罪を行うよう求めます〉
 新聞やテレビ、出版などジャーナリズムに関わる有志による「メディアで働く女性ネットワーク」が15日、安倍首相あてに、こんな内容の要請書を提出した。麻生財務相への要請書では「自らセクシュアル・ハラスメントの研修を」とさらに厳しく批判。週刊新潮が報じた「男を番(記者)にすればいい」との発言には「文句を言うなら職を奪うと言わんばかりの女性記者に対する脅しであり、決して許せない」と反発する。
 財務省前事務次官の問題が発覚したのをきっかけに、メディアの女性たちが立ち上がった。報道関係者と性暴力被害者らによる「性暴力と報道対話の会」は17日、緊急アンケートの結果を公表した。回答を寄せた女性(計103人)のほとんどがセクシュアル・ハラスメントの被害を受け、その半数が10回以上、被害に遭っているという深刻な実態が浮き彫りになった。
 省庁や役所、企業での人権研修やハラスメント防止法など法整備、被害者のケアなど課題は山積みだが、「女性の人権を尊重しましょう」と、閣僚や官僚らに向かって「教育」をしないといけないとは。
 米国でわき起こった「#Me Too」運動。「#We Too」「#With You」と日本でも連帯の輪が広がっている。被害はさまざまなところで起きている。一過性のものにせず、社会全体の問題にしなければいけない。


「正常化」って何だ?

 朝日新聞の5月9日夕刊の見出しは、『国会、19日ぶり正常化 野党復帰 働き方改革、焦点』。もちろん、朝日だけではない。野党が国会審議に戻ることが決まり、新聞各紙、テレビ各局に「正常化」の言葉が踊る。野党の審議拒否が「正常」でないかのような印象を与えていないか。
 「異常」はいまも続いている。
 10日にあった衆参両院の予算委員会。加計学園の獣医学部新設計画をめぐり、柳瀬唯夫・元首相秘書官(現経済産業審議官)が参考人として出席し、加計学園関係者との官邸で計3回面会したことを明かした。
 これまで柳瀬氏は関係者との面会について「記憶にない」を繰り返してきた。一転して記憶が戻ったのはなぜか。だれでも気になるが、その点を問われると、「聞かれたことを一つひとつ答えて、全体像が見えなくなってしまった」と意味不明の弁解をした。もっとも、首相への報告を聞かれると即座に「ない」。ここは記憶が明確らしい。
 虚偽答弁。公文書の改ざん、隠蔽。データの捏造。セクハラ。暴言……。「安倍一強化」で「政」と「官」の劣化をこれでもかと見せつけられてきたが、明らかに噓をいっているとしか思えない柳瀬氏の発言をテレビで聞きながら、「異常」な事態がいつまで続くのか暗澹たる気分になった。
 異常事態の背景にあるのは、安倍政権下で広がる無責任な政治の姿である。
 「信頼回復に向けて必ず全容解明し、うみを出し切る」。安倍晋三首相の決まり文句だが、こんな言葉を間に受ける人がいるだろうか。数えればきりがないが、例えば、2013年の五輪招致のプレゼンテーションでは、東京電力福島第一原発の汚染水について「アンダー・コントロール」。
 政治家は言葉に責任を負う仕事だが、安倍首相の言葉からは一貫して責任のかけらも感じられない。言葉に責任を持つ政治が復活しない限り、「正常化」なんて言えない。


セクハラにNOと言おう

 財務省次官によるセクハラ問題は、南北首脳会談という歴史的大ニュースの陰に隠れるように、こっそりと事実認定・処分の記者会見が行われた。このような当局の態度を見れば、事の真相や責任の所在はすでに明らかだろう。
 今回の問題に際して、新聞労連や民放労連がアピールを公表した。新聞労連は折しも女性集会が開かれるというタイミングだったが、この集会の参加者一同によるアピールは、次のように自己反省の念にあふれるものだった。
 〈権力を笠に着る者たちからの、人としての尊厳を傷つけられる行為に我慢するのはやめよう。「私に非があったのかもしれない」と自分を責めるのはもうやめよう。
 同僚や先輩、上司に訴えても聞き入れられず、「受け流せ」「事を荒立てるな」と言われて黙認され 、屈辱的な気持ちを抱えてきた〉
 〈仕事にセクハラはいらない。私たちは、言葉を社会に届ける専門職集団だ。セクハラにNOと言おう。言葉でNOと示そう。私たちは一人じゃない〉
 民放労連は、内部組織の女性協議会との連名で、財務省への抗議に加えて、放送業界の各社に向けて対策の徹底を求めた。
 〈私たちは、セクハラへの徹底した対策を各社に要求する。放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない〉
 報道現場からは、今や切実な声が上がっている。この機を逃さず、経営者も労働組合もセクハラ根絶に向けてあらゆる努力を払うべきだ。取材する人々自身の人権が脅かされているのに、さらに弱い立場の人権を守る報道ができるはずはないだろう。


南北会談を機に「東北アジア非核地帯」つくりへ

 27日午前、2007年以来、11年ぶり、3回目の朝鮮・南北会談が開かれた。李在寅大統領と金正恩委員長が、朝鮮戦争の終結を宣言できるかどうか、南北統一への一歩が築かれるかどうか、期待の会談だ。われわれも、「北朝鮮に騙されるな」といった皮肉な見方だけではなく、戦争終結と南北統一の平和構築への動きとしてとらえたい。
 私たちの隣国・朝鮮は、その巧みな外交術で、古い時代から、大国・中国と陸続きながら、平和を保ち、独自の文化を発展させてきた。日本とも、秀吉の朝鮮出兵など時々の波乱はあったが、室町時代からは、「朝鮮通信使」を通じ、良好な関係を作ってきていた。しかし、19世紀後半に入ると、西欧列強の進出の中で、植民地競争に出た日本が、公然と支配を企て、政権に介入し、皇后を殺害する事件を起こし、施政権をわが物にした。1910年の「併合」は、その支配の「完成」だった。
 1945年日本の敗戦で、本来は戦勝国として主権を回復し、1つの朝鮮が誕生するはずだったが、米ソ対立がそれを不可能にし、1950年には朝鮮戦争が起き、3年後に休戦協定ができたものの、いまなお戦時状態が続いている。
 米軍の出撃拠点だった日本は、韓国を朝鮮半島の唯一、正統な政権と認めて、1965年には日韓条約を締結した。在日の人たちにも、南北の分断が持ち込まれた。やがて、冷戦が終わり、1991年には国連に南北同時加盟が実現した後も、北朝鮮とは国交がない状況を続けている。国交正常化も、拉致問題が明らかになったことで、日本政府は、その解決を条件とし、国民感情もきわめて厳しい状況が続いている。
 しかし、どうだろう。朝鮮半島情勢について、トランプ大統領の尻馬に乗って、「対話のための対話は意味がない」とか「圧力は緩めない」とか言い続け、結局自分では何もできなかった日本だが、今回の会談を機に、国民が求めている日本の平和と安全のために、大きく外交政策を転換し、地域の安全保障を作る方向に進むことはできないものか。
 つまり、それは、単に北朝鮮に核廃棄を迫るだけでなく、朝鮮半島や、遼東半島、沿海州、日本列島、沖縄を含む日本列島、という北東アジア全域の非核地帯を作る方向に、声を上げていくことである。第一、北朝鮮にだけ核放棄を要求し、韓国や日本には非核3原則がある、とはいえ、沖縄への核持ち込みはフリーにしておくというのでは、不公平だし、この「北東アジア非核条約」は、既に何十年も前から提唱されてきたことだ。
 朝鮮が分断されてしまったのには、いま見たように、日本にも大きな責任がある。朝鮮戦争が、休戦から平和条約に移行し、南北統一への道筋ができるとすれば、北朝鮮と日本との国交正常化も果たさなければならない。拉致問題もその中で解決していけるはずだ。
 南北会談を「他人事」ではなく、われわれ自身の問題としてとらえたい。それが、今の時代に生きる私たちの責任ではないだろうか。


幹部自衛官のおぞましい暴言

 心底おぞましい事件が起きた。防衛省統合幕僚監部に所属する30代の男性3等空佐が4月16日夜、東京・永田町の参院議員会館近くの路上で、民進党の小西洋之参院議員に「お前は国民の敵だ」「お前の国会での活動は気持ち悪い」などと繰り返し罵声を浴びせた。戦前の驕り高ぶった軍人の姿が思い浮かぶ。1932年の五・一五事件や1936年の二・二六事件を想起した人も少なくないはずだ。それらの例えも、決して大げさではない。3佐が小西議員のどこに反感を抱いたのかは必ずしも明らかではないが、その言葉からは「自分こそが正義」という身勝手な自意識がうかがえる。まさに五・一五事件や二・二六事件を起こした軍人たちと共通する独善的な心情だ。
 自衛隊は、日本の平和と独立を守るのが任務。それは、多様な価値観や自由な表現活動が担保された民主主義社会の日本であるはずだ。自衛隊を違憲と考え主張する人たちがいても、その人たちの存在を含めてそのままの社会を守らなければならない。まして国会議員は国民の付託を受けた代表だ。その議員を敵視し、激しい敵意を直接ぶつけるとは、民主主義の否定に等しく、自衛官として絶対に越えてはいけない一線を越えた。到底その任にとどまるのを容認するわけにはいかない。
 危ういのは小野寺五典防衛相の態度だ。3佐について「若い隊員で国民の一人でもあるので、当然思うことはあるだろう」と発言。3佐を擁護するものとして、野党の批判を浴びた。厳罰に処すると自衛隊の士気が下がるなどと考え、仮にも寛大な処分を考えるとすれば、必ず将来に禍根を残す。戦前、政党政治が終えんを迎えた要因には、政友会があまりにも親軍的になっていったことも数えられる。小野寺防衛相は毅然として処分を下すべきだ。
 守るべき対象を敵呼ばわりする、その光景に重なるのは、安倍晋三首相が自らの退陣を求める人たちを指して「こんな人たちに負けるわけにいかない」と言い放った姿だ。自分こそが正しいという独善性を首相が常日頃から隠そうともしないことが、自衛官のおぞましい暴言を生み出した一因になっていないか。安倍首相はそのことに気づくべきだ。


疑惑だらけの政権と官僚

 「森友学園」と「加計学園」という二つの学校法人をめぐる問題で、次々と官僚や政治家の「ウソ」が表面化している。森友では決裁文書の書き換えや学園側への口裏合わせがあった。加計では、当時の柳瀬唯夫首相秘書官(現経済産業審議官)が愛媛県や今治市の職員らに「本件は首相案件」と説明したことを示す文書の存在が判明した。それでもなお柳瀬氏は職員らとの面会を否定している。安倍首相に至っては、自身の関与を否定はしながらも「コメントを控えたい」と説明責任を放棄している。
 このほか陸上自衛隊のイラク日報や、野党の追及で判明した厚生労働省の働き方改革法案に関するデータ不適切問題もある。特に働き方改革法案については、経営者にとって都合のいい裁量労働制の拡大をもくろんだ結果、調査条件が違うものを比較するなどして「裁量労働制の方が労働時間が短い」ことを示そうとしたのだ。データの不備というより、ごまかしではないか。
 疑惑だらけの政権と官僚を抱えているのがこの国の実情だ。私たちがどんな政権のもとで暮らしているのか、厳しい目でチェックしなければならない。疑惑の根っこを掘り起こし、真実を明らかにするのがメディアの役割であることは言うまでもない。


ぶれない法制局元トップの気概

 平和主義と戦力の不保持、交戦権の否認を定めた9条1、2項を残しても「自衛隊を保持する」と書き加えれば、後から書いた条文が優先される。1、2項は自衛隊の権限を広げる障害ではなくなる。つまり、1、2項は「立ち枯れた懐かしの記念碑」として残るだけだろう――。こんな宮崎礼壹・元内閣法制局長官のインタビューが4月4日付の朝日新聞朝刊に掲載された。
 安倍晋三首相が主導して進める、憲法9条への自衛隊明記を正面から批判し、論理明快な内容だった。
 宮崎氏といえば、安全保障関連法案が審議されていた2015年6月の衆院特別委員会で、「(法案は)憲法9条に違反し、撤回されるべきものだ」「(集団的自衛権の行使を容認した政府解釈は)黒を白と言いくるめるたぐいだ」と舌鋒鋭く批判したことが記憶に新しい。
 ぶれない元法制局のトップの発言から伺えるのは、法律専門家集団として戦後の政府解釈を担ってきた自負だ。
 かつて、佐藤達夫・元長官が法制局と内閣の意見が食い違った時、「法制局職員は、辞表をたたきつける」心構えを見せよと語ったことがある。それでも「法制局の専門家の判断というものが、内閣から一顧もされないということになったら、法制局制度としてはすでに墓場への道に追いやられたことになるでしょう。そして、それは大げさに言えば、法治主義の墓場への道にもつながる」(「内閣法制局史」)と述べていた。
 憲法制定にも深く関わった佐藤氏の信念は宮崎氏にも通じるものがある。辞表こそ提出しなかったが、退職後に加計問題をめぐる官邸の圧力を告発した前川喜平・文部科学省前事務次官にも通じる。しかし、ゆがんだ官邸主導に押しつぶされた官僚機構にこうした気概は失われている。
 森友問題で文書改竄を続けた財務省から辞表を突きつけ、真相を語る役人が出てこないものか。今からでも遅くない。官僚の気概を見せて欲しい。