今週のひと言

杉田水脈氏は議員辞職すべきだ

 「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」。自民党の杉田水脈衆院議員(比例中国ブロック)が「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題した月刊誌「新潮45」への寄稿での発言である。ネット上で「ナチスの優生思想と同じ」などと批判が広がったのは当然だろう。
 「生産性」という言葉で人間を値踏みする。2016年7月、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害、職員3人を含む27人に重軽傷を負わせたとされる植松聖被告の発想と根っこのところでつながっている。
 日本国憲法は13条で「個人の尊重」を掲げ、ナチスを経験したドイツは憲法(基本法)1条で「人間の尊厳は不可侵である」と定めている。どんな人間であれ、一人ひとりを「かけがえのない存在」として扱わなければならないという、憲法の核心だ。
 杉田氏の発言は「個人の尊重」を踏みにじるもので、公職にあるものとして到底看過できず、議員辞職に値する。ところが、である。杉田氏のツイッターのつぶやきによると、「大臣クラス」の先輩議員らから「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと声をかけられたという。
 驚くほかない。しかも、二階俊博幹事長も記者会見で、「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観がある」「右から左まで各方面の人が集まって自民党は成り立っている」と問題視しない姿勢を示した。自民党という組織の憲法感覚の欠如がよくわかる。
 問われているのは、「右」とか「左」とかいう次元の問題ではない。「個人の尊重」は、「右」であろうが、「左」であろうが、政治的立場を超えて共有しなければならない最も基本的な価値だ。
 それを踏みにじった杉田氏に衆院議員の資格はない。即刻辞任すべきだ。


セクハラの実態とは

 このサイトの主催団体の一つである日本マスコミ文化情報労組会議(略称:MIC)はこのほど、女性弁護士グループ「日本労働弁護団・女性労働プロジェクトチーム」の協力のもと「メディアで働く女性のための緊急セクハラ110番」を実施した。その結果、メディアで働く女性から次のような相談が寄せられた。
 
〈記者同士が集まる酒席で、同業他社の男性記者から身体接触があったり、性的冗談やからかいなどのセクハラ行為を受けたりした。その男性記者は複数の女性記者に対して頻繁に同様のセクハラ行為を繰り返している。上司に相談したいが、面倒くさがられて仕事が任されなくなるのでは、という懸念や加害男性からの報復の懸念がある。「自分がなめられているから被害に遭うのかもしれない」と自分の能力の低さを責めている〉(新聞・通信社)
〈職場の雰囲気がおかしいと思っていたところ、上司から仕事を辞めることを勧奨された。職場内で、職場の男性との性的関係についてばらされ、自分の知らないところで噂になっていたことを辞める時に知り、ショックを受けた。悔しい〉(出版)
〈職場の男性から一方的に好意を告げる膨大なメールが送られるなどのセクハラを繰り返された上、性的関係を強要された。会社に相談したが対応してくれなかった。その後、精神的ダメージを受けたことで、会社に行けず病気になって休職に追い込まれ、辞めざるを得なくなった。会社は女性蔑視の風土を変えてほしい。自分のようなことを繰り返さないでほしいので、こういう事例があることを社会に知ってもらいたい〉(放送)
〈同僚たちとの酒席で参加者から性的な辱めを受け、拒否したら男性から胸を触られ、必死でその場から逃げた。後日、加害男性に謝罪を求めたところ「酒席の場のこと」として取り合ってもらえなかった。さらに加害男性本人が、胸を触ったことを吹聴した。加害男性は上司から注意を受けたようだが、相談者自身も「冗談が通じない人間」として扱われ、不利益を被った。メディア業界ではセクハラが当たり前のこととしてまかり通っていることを世の中に知ってほしい〉(放送)

 いずれも深刻な内容で、問題の根の深さを思い知らされる。「セクハラ」という語感は軽く聞こえるが、その実態は明白な女性差別であり、人権侵害であり、犯罪的行為だと思う。


どさくさに紛れた売国政策

 ニュースが輻輳するとき、大事なニュースでも小さくなったり隠されてしまうのは、メディアにとって「悩みのタネ」だが、大事件、大ニュースを利用して、自分たちの利益になるニュースを強引に、あるいはこっそり通してしまう「どさくさに紛れたニュース操作」を放置するわけにはいかない。
 「どさくさ」は言うまでもなく、ワールドカップ・サッカーと西日本の豪雨災害。そのすきに議論もしないで成立を図る。麻原以下、オウムの死刑囚の一斉処刑も、その材料にされた。延長国会の政府・与党のやり口は、これまでになく露骨だ。
 「改憲」を何とか動かそうという安倍政権が考えたのは、まず、国民投票法の改正。公選法で認められた、洋上投票の拡大、期日前投票の投票時間の弾力化、投票所の増設、駅や商業施設などへの共通投票所の設置―などを可能にしようという改正。「公選法並みにするんだからいいだろ?」と野党を誘ったが、「じゃあ、広告規制はどうする?」と切り替えされ、話にならなかった。
 そこで出てきたのが、参院合区問題の党内の不満を抑えるための参院定数6人増、一部に拘束名簿制を導入するという、仕組み自体のお手盛り手直し案。何とこれを、11日には参院を通過させてしまった。名簿の順位についての考え方は、制度全体の問題。こんなことを、党利党略であっさりやってしまう思想が恐ろしい。
 そして、カジノ法案。何のための誰のための? 説明は全く出来ず、突っ走る。東京新聞は6日、首相が昨年2月、トランプ氏を訪問した際、「カジノ王」といわれる「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン氏らと会って、「カジノ推進」をアピールしたことも報じた。カジノの問題は依存症や、賭博による退廃だけではない、生産がない消費経済で景気が良くなるわけはない。日本の金が巻き上げられるのだ。
 極めつけは、全く見えないままに、5日、衆院を通過した水道法改正。水道の民営化に道を開く大問題。新自由主義が席巻する中、ボリビアやフィリピンの民営化は、水道料金は4倍にも5倍にも跳ね上がり、「貧乏人は水を飲むな」の政策だと問題になった。
 安倍政権の多国籍企業への奉仕、売国政策は、どさくさに紛れて、進んでいる。


ろう者の視点で寄り添う

 音のない世界に生きる、ろう者の心情を描いた仏のドキュメンタリー映画「ヴァンサンへの手紙」の監督で映像作家のレティシア・カートンさんが今週、来日した。表現豊かな手話を禁じられ、厳しい口話教育を受けて「話すこと」を求められるなど、聴者社会のなかで苦しんできた人々が、自分たちの「ろう文化」を取り戻そうと懸命に生きる姿を追っている。
 フランスでも「耳が聞こえない家系を絶つために」と、ろう者の子どもを産んだ母親が不妊手術を強制される実態があった。映画に登場する活動家は、ろう者の団結を示そうとパリからミラノまでのデモ行進を企画した。プレスリリースをつくり、記者会見も準備したものの、会見に現れた記者は一人もいなかった。
「ろう者の尊厳や権利の問題には関心がない。あるいは優先順位が低い。それが私のマスメディアに対する評価です」とカートンさんは話す。
 友人のろう者の男性が自ら命を絶ったことが、ろう者の内面に向き合うきっかけとなった。その男性の名前がヴァンサンだ。3年前に完成し、フランスでの観客動員数は2万人以上。日本での公開は10月で、ろう者の映画監督、牧原依里さんがクラウドファンディングなどで資金を集め、映画の買い付けを行った。
「この映画は私の人生そのもの」と牧原さん。
 原題の邦訳は「ろう者の視点であなたに寄り添う」。自分と異なる世界に生きる人々の心を思い、違いを受け入れる。メディアの記者たちが、この社会を見つめ、報道するときにも必要なことだ。


「沖縄のこころ」と平和の詩「生きる」

 沖縄の「慰霊の日」の6月23日、ことしも沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で、県と県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれた。
 平和宣言で「戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する『沖縄のこころ』を大事に今日を生きています」と、「沖縄のこころ」を強調した翁長雄志知事は、今年5月に、がんとの闘病を公表したばかり。以前にも増して眼光鋭く、気迫がみなぎっていた。名護市辺野古に新基地を造らせないとの決意は県民とともにあり、みじんも揺らぐことはないと表明。「沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきもの」「沖縄の基地の現状や日米安全保障体制のあり方について、真摯に考えていただきたい」と、あらためて沖縄県外の人々に向けて訴えた。
 一方、安倍晋三首相の形だけのあいさつは例年通り。「政府として、基地負担を減らすため、一つ一つ、確実に、結果を出していく決意」と言いながら具体策には触れない。「アジアと日本をつなぐゲートウェイとして、沖縄が日本の発展を牽引する」「この流れを更に加速させるため、私が先頭に立って、沖縄の振興を前に進めてまいります」と、あたかも自身が沖縄のリーダーであると言わんばかりの物言いには違和感しかなかった。
 そんな中で、14歳の中学3年生、相良倫子さんが朗読した自作の平和の詩「生きる」は、戦争を許さない強い思いの一語一語が心に染み入った。
 「あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/この島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きているのだ。/今を一緒に、生きているのだ。/だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなくて、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯輝かせて生きることだということを。」
 沖縄戦のことは、地上戦で友人を亡くしたり、家族と離れ離れになったりした曽祖母の体験談をよく聞いていたという。
 日本本土のマスメディアも、読売新聞を含めて比較的大きな扱いで紹介したのに、24日付の産経新聞(東京本社版)は安倍首相のあいさつに紙幅を割き、相良さんものことも、詩「生きる」についても一切触れなかったことは書きとめておきたい。


強きに弱く? 日大報道と加計報道

 下火になった感があるが、テレビのワイドショーの洪水のような日大報道はすさまじかった。反則行為をしたアメフト部の選手の真摯な会見に対し、明らかにウソをついているとしか思えない監督やコーチ。記者会見をはじめ大学当局のお粗末な対応。不正行為の背景に何があったのかを追及するのはメディアの仕事だが、「いやーな感じ」を覚えたのは、日大には「理事長、なぜ出てこない!」とたたみかけるリポーターたちが、どういうことか、加計学園には腰が引けているからだ。
 日大問題と加計学園問題。証拠があるにもかかわらず、トップが関与を否定しているという点で構図は同じだ。
 証拠とは何か。日大問題では危険行為をした選手の、上司による指示を認めた真摯な証言であり、加計学園問題では愛媛県庁の職員が残した詳細な面談記録だ。そして、日大の監督やコーチは指示を否定し、安倍首相や加計学園の理事長は記録にあった二人の面談を否定している。
 繰り返すが、日大問題を追及するのはわかる。なぜ、それと同じエネルギーを加計問題に向けないのか。加計問題が首相という最高権力と関係しているからか。で、「落ちた犬はたたけ」「強きに弱く」の日本の大手メディアの体質を改めて見せつけられ、「いやーな感じ」に襲われたのである。
 今週の19日、加計学園の加計孝太郎理事長が初めて会見したが、25分で打ち切られた。メディアは執拗に食い下がっていいはずだが、日大の会見打ち切りで見せた怒りは感じられない。会見を知らせるファクスが地元の報道各社に届いたのも2時間ほど前で、参加者は地元の記者に限られたという。
 強い者に弱いメディアの足元を見透かされ、結果、なめられたのだ。


記者が質問できないと国が滅ぶ

 先日、韓国のドキュメンタリー映画『共犯者たち』の上映イベントに関わった。梅雨らしい雨模様の天気だったが、立教大学の会場に600人を超える人々が集まった。
 「共犯者」というのは、韓国で保守政権におもねったメディアの幹部たちを指す。韓国では、廬武鉉大統領までの民主政権の下では言論の自由が花開いたが、李明博・朴槿恵と続いた保守政権の時代に、報道機関は冬の時代を迎える。政府が放送局の社長人事に介入し、政府を批判する番組は打ち切られ、抵抗する制作者たちは異動か解雇。『共犯者たち』の監督であるチェ・スンホ氏も、韓国の公共放送の一つ、MBCの調査報道部にいたが、政府批判番組が名誉棄損で国から訴えられ、解雇された。彼らは「ニュース打破」というインターネットの独立メディアを立ち上げ、権力にへつらう経営陣を追いかけまわし、直撃インタビューを試みる。
 政権の御用放送と化した放送局では、放送労働者のストライキも展開される。一人のプロデューサーがスマホの自撮りで動画中継して「社長は出ていけ!」と叫ぶと、労組のメンバーも呼応して、みんなでスマホ中継を始める。「たたかっている人を一人にしてはならない」。労組委員長の言葉だ。
 この映画では、箴言のようなセリフがいくつも発せられる。命がけでたたかう者だからこその説得力がある言葉たちだ。
「記録するだけでも意味がある」「暗黒の時代にも、私たちは沈黙しなかった」
(政権の手先となったメディア関係者に向けて)「歴史を恐れなさい」
(質問に答えない大統領に向けて)「記者が質問できないと国が滅びますよ」


日大アメフト事件と日本人

 日大アメリカンフットボール部の違反タックル問題は、一大社会問題になっているが、ここで考えたいのは、こういう事件を引き起こしてしまう日本人の「心性」だ。
 1:ルールがあって、いけないことだとわかっているが、「追い込まれる」とやってしまう。宮川選手は「自分の弱さ」と表現したが、それは彼だけの問題ではない。
 2:内田監督にしても、森コーチ、井上コーチにしても、「反則」はわかっていたが、「勝つためには仕方がない」という自分の論理で突っ走った。本人は目がくらみ、チームはそれが「制度」になって、「勝てば官軍」、だれも文句は言えなくなった。
 3:いったん「勝利」で「完成」すると、「仕組み」はどんどん精密になり、高校から大学、就職に至る人生コースが決められてしまう。その流れから外れるには、相当の勇気を必要とする。
 日大アメフト問題は、①「指示」があったかなかったか②「壊せ」が「積極的にやれ」なのか「けがをさせろ」なのか―が焦点のように見えているが、実は、無言の圧力、あるいはそういう「いい方」で、指示が行われる状況が問題なのではないか。
 「わかるよな」と指示して悪いことをさせる会社、「総理は会っていないのだから、会った記録はすべて消そう」と考え、国会も歴史も直してしまって平気な人たち…。
 このあと、日大が理事長以下が責任を取って、全く違う方向に進んでいけるかどうか。刑事責任を問えるのか、内田監督、井上コーチと宮川君は「共同正犯」なのか、宮川君を2人の「正犯」の「道具」だったとして無罪にできるのか。勝手に謀略で戦争を始めて、結局それを追認してしまったかつての日本社会と違うのか、同じなのか…。
 政治が率先してウソと欺瞞を広げている中で、日本社会をこれからどうしていくのか、変えられるのかどうか。わたしたちの考え方、生き方も問いかけられている。


疑惑とマンネリズム

 森友学園、加計学園を巡る疑惑に新たな展開があった。
 まず森友学園。財務省は5月23日、大阪の国有地払い下げについての森友学園側との交渉記録を国会に提出。その中には、安倍晋三首相の昭恵夫人付の政府職員から問い合わせがあったことを記したメモもあった。夫人付職員からとして「優遇を受けられないかと総理夫人に照会があり、当方からお問い合わせさせていただいた」と記されていた。政府職員が昭恵夫人の知らないところで勝手に動くわけがない。財務省への照会は昭恵夫人から指示があったとみるべきだ。この状況を常識的に解釈すれば、まさに昭恵夫人が国有地払い下げに関与したというほかない。昨年2月に首相は、自分や昭恵夫人が国有地売却に関係していたということになれば首相も国会議員も辞めるとタンカを切った。約束通り、首相と国会議員を辞めるべきだ。
 加計学園を巡っては5月21日、愛媛県が新たな文書を国会に提出。県職員が加計学園側から聞いた話として、2015年2月25日に加計孝太郎・学園理事長が安倍首相と面会し、国際水準の獣医学教育を目指すと説明したのに対し、首相は「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントしたと記されていた。県職員がこんな話をねつ造する必要はない。少なくとも加計学園側が県職員にそういう情報を伝えたことは間違いがない。獣医学部の構想を知ったのは2017年1月との首相の主張の信ぴょう性が大きく揺らいでいる。
 安倍首相はと言えば、夫人付き職員の財務省への照会については、値下げの交渉ではないから問題ないと言い放ち、愛媛県の新文書に対しては、何の裏付け資料も補強資料もないのに加計理事長と自身の面会を否定した。この自信と余裕がどこから出てくるのかよく分からないが、気になるのは世論の動向。5月に入って、20日までにマスメディア各社が実施した世論調査では、加計学園の問題を巡って「疑惑は晴れていない」が83%に上る(朝日新聞調査)など、個別の不祥事には厳しい結果が並んだ一方で、安倍内閣の支持率はそろって下げ止まり、ないしは上昇に転じた。依然として不支持率が上回るとは言え、安倍首相は「もはやモリカケは怖くない」との心境だろうか。
 「ジャーナリズムはマンネリズムとの闘い」とは故原寿雄さんの言葉。森友学園、加計学園を巡って何が問題なのか、なぜ問題なのか、繰り返し伝えていかなければならない。


立ち上がったメディアの女性たち

 〈安倍晋三殿 財務省の前事務次官、福田淳一氏の直接の上司であった麻生太郎財務相の「はめられた」との主張は被害者の女性に対する侮辱であり、二次的な加害行為にあたります。麻生氏はさらに「セクハラ罪という罪はない」などと繰り返し発言しました。刑法に抵触しなければ騒ぐ問題ではないと言わんばかりの発言は、セクシュアル・ハラスメントという人権侵害のもつ意味を矮小化するものであり、人間としても、政治家としても、許せるものではない。安倍首相自ら、麻生氏に対して本来なすべき被害当事者への謝罪や、様々な発言の撤回・謝罪を行うよう求めます〉
 新聞やテレビ、出版などジャーナリズムに関わる有志による「メディアで働く女性ネットワーク」が15日、安倍首相あてに、こんな内容の要請書を提出した。麻生財務相への要請書では「自らセクシュアル・ハラスメントの研修を」とさらに厳しく批判。週刊新潮が報じた「男を番(記者)にすればいい」との発言には「文句を言うなら職を奪うと言わんばかりの女性記者に対する脅しであり、決して許せない」と反発する。
 財務省前事務次官の問題が発覚したのをきっかけに、メディアの女性たちが立ち上がった。報道関係者と性暴力被害者らによる「性暴力と報道対話の会」は17日、緊急アンケートの結果を公表した。回答を寄せた女性(計103人)のほとんどがセクシュアル・ハラスメントの被害を受け、その半数が10回以上、被害に遭っているという深刻な実態が浮き彫りになった。
 省庁や役所、企業での人権研修やハラスメント防止法など法整備、被害者のケアなど課題は山積みだが、「女性の人権を尊重しましょう」と、閣僚や官僚らに向かって「教育」をしないといけないとは。
 米国でわき起こった「#Me Too」運動。「#We Too」「#With You」と日本でも連帯の輪が広がっている。被害はさまざまなところで起きている。一過性のものにせず、社会全体の問題にしなければいけない。