今週のひと言

まるで“ヘイト司法”ではないか

 これではまるで“ヘイト司法”ではないか。そう思わざるを得ないような判決が出た。日本政府が朝鮮学校を高校無償化の対象から外したのは違法として、東京朝鮮中高級学校の元生徒62人が国を相手に賠償を求めた訴訟で、東京地裁の田中一彦裁判長は9月13日、訴えを認めなかった。判決理由であれこれ並べているが、要は、朝鮮総連、北朝鮮とつながっているとして日本政府が取っている差別的措置を、「裁量」という便利な言葉で全面的に追認するものだ。その具体性を欠いた説得力のなさは、裁判官による政府への忖度と言ってもいい。
 この判決のおかしさは、もっともらしい法律論からいったん離れてみれば分かる。朝鮮学校で学ぶ生徒は日本で生まれ育ち、将来にわたっても日本に居住する。日本の大学は、日本の高校と同じように朝鮮学校の卒業生にも門戸を開いている。何よりも、在日コリアンは納税者として日本社会に応分の貢献をしている。そうした彼らが、朝鮮学校に在籍しているという一事で、日本の高校に通う生徒たちと異なった扱いを受けるのは差別と言うほかないし、その差別を是正できないなら、日本は三権分立の法治国家であることすら危うい。
 同種の訴訟は全国で5件あり、地裁判決は広島、大阪に次いで3件目。7月19日の広島地裁判決は原告敗訴だったが、同28日の大阪地裁判決は、国の政治的外交的な意見に基づく違法な処分と認定していた。その後に続く司法判断として東京地裁判決は注目されていたはずだが、マスメディアの扱いは必ずしも大きくはない。東京発行の新聞各紙では、1面で伝えたのはこの結論を歓迎する産経新聞だけ。朝日新聞に至っては、第3社会面に見出し2段、写真もなし。記事に気付かなかった読者もいるのではないか。
 名古屋地裁と福岡地裁小倉支部の訴訟がこれから判決を迎える。ミサイル発射、核開発で北朝鮮への批判は高まっているが、それとこれとはまったく別の話だ。裁判官たちが自由な心証でまともな判断を示せるような社会環境であるためには、世論の後押しが必要。そのためにはまず、今回の判決のおかしさが広く知られなければならない。マスメディアの責任は大きい。


記録作家、林えいだいさんの言葉

 「植民地支配は人間の尊厳を奪いつくす」
 福岡県の筑豊地方を拠点に、朝鮮人強制連行や公害、戦争などをテーマに執筆を続けた記録作家、林えいだいさんが今月1日、83歳の生涯を閉じた。冒頭の言葉は、長年の聞き取りや取材で林さんがたどり着いた「真実」だ。
 神主だった父は戦時中、炭鉱から逃亡した朝鮮人をかくまった。特別高等警察に連行されて拷問を受けた後、死亡した。残された母は言った。「人間はぶれるものじゃない」。早稲田大学への進学で上京した林さんは、足尾銅山鉱毒事件のルポルタージュ「谷中村滅亡史」(荒畑寒村著)を読んで刺激を受け、「筑豊の史実を掘り起こす」と決意。同大を中退して帰郷した。「清算されない昭和―朝鮮人強制連行の記録」「実録証言 大刀洗さくら弾機事件―朝鮮人特攻隊員処刑の闇」――。その後の著書は50冊以上に及ぶ。
 「安倍9条改憲NO!」を合言葉に、「憲法破壊」阻止のための全国市民アクションの発足集会が8日、東京で開かれた。ルポライターの鎌田慧さんや作家の澤地久枝さん、落合恵子さんらが発起人。「改憲反対の一点で手をつなごう」と呼びかける。
 「過去、日本が何をしてきたのか、きちんと点検しなければ、同じ過ちを繰り返す」。林さんはこうも話していた。その教訓とともに、「対立」ではなく「対話」でこの国に平和の輪を広げていこう。


危機を煽る政府に加担したメディア

 北朝鮮の弾道ミサイル発射のニュースで一色に染まった8月29日早朝のテレビ報道は、これから戦争でも始まるのか、と思わせるような中身だった。チャンネルを回すと、どの局もJアラートの静止画面。「頑丈な建物や地下に避難して下さい」とアナウンサーが政府の呼びかけをおうむ返しに繰り返していた。
 北朝鮮のミサイルが日本上空を通過するのは5回目で、今回が初めてではない。日本が標的にされたわけでもないし、被害が出たわけでもない。報道によると午前5時58分に発射され、14分後の午前6時12分に襟裳岬東約1180キロの太平洋上に落下した。一般の人々の感覚では、あっという間の出来事だっだ。元ライブドア社長の堀江貴文氏がツイッターで「マジでこんなんで起こすなクソ。こんなんで一々出すシステムを入れるクソ政府」とつぶやいたのも不思議ではない。
 ところがテレビや新聞は、「怖かった」「どこに逃げればよいのか」と戸惑い、不安を募らせる人々の声を繰り返し取り上げ、危機を強調する。驚いたのは、午前6時過ぎに落下が確認されたにもかかわらず、休校にした学校は公立で4校、私立で5校に上ったという。過剰反応というほかない。
 西日本新聞(8月25日付)が、熊本県上天草市で24日にあった弾道ミサイル発射を想定した避難訓練の様子を伝えている。住民の感想が的を射ている。勤務先の建物内に避難をした男性は「近くに落下したら建物内でもどうしようもないだろう。核弾頭だったら被害は甚大だ…」。60代男性は「戦時中の竹やり訓練のようでばかげている。地下壕を造るのならまだしも、何にもならない」と話したという。もっともだ。
 政府は「頑丈な建物や地下に避難して下さい」と言うが、真剣に危機管理を考えているなら、原発が狙われた時にどう対応するのか。再稼働など到底考えられないが、この点について政府は沈黙を続ける。メディアはうわべの危機を煽る政府に加担するのではなく、冷静な思考の下、原発大国が抱える潜在的な危機にこそ目を向けるべきだ。


夏のNHKはすごかった

 「8月ジャーナリズム」とも揶揄される戦争関連のドキュメンタリー番組だが、今年のNHKはとりわけ力作ぞろいだった印象だ。
 『NHKスペシャル』では、まず8月12日放送の『本土空襲 全記録』。米軍の戦闘機に装備された、機銃を撃つと自動的に映像を録画する「ガンカメラ」の映像を新たに発掘し、米軍による日本本土への空襲の実態がどうだったかを詳しく見せた。
 8月13日放送は『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』。戦時中、旧満州で密かに人体実験などを行って細菌兵器を研究していた731部隊は、終戦に際して証拠を徹底的に隠滅していたが、今回NHKは、終戦直後に旧ソ連で行われたハバロフスク裁判の録音テープを新発見。そこに残されていた部隊の中枢メンバーの話から部隊の真相に迫るという、歴史的価値の高い番組だった。
 8月14日は『樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇』。終戦を迎えたはずの8月15日になぜか「樺太死守」の軍命が下され、現地の住民も巻き込んで旧ソ連軍と死闘を繰り広げた樺太での地上戦の悲惨な実態が明らかにされた。
 そして8月15日『戦慄の記録 インパール』。当時のビルマからインド北東部のインパールに向けてイギリス軍攻撃のために無謀な行軍を行って多数の死傷者を出し、「白骨街道」と称された「インパール作戦」を最近の現地踏査で検証し、新たに見つかった資料から非人道的な作戦の全貌に迫った。
 このほか、長崎原爆と部落差別の問題を追ったETV特集の『原爆と沈黙』や、雑誌『暮らしの手帖』への投稿から戦時中の庶民の日常をリアルに描いた『描き続けた“くらし” 戦争中の庶民の記録』など、放送史に残るような傑作が目白押しだった。
 スマホなどからも受信料を取ろうと狙っているNHKだが、これだけの番組を見せてくれるのなら、払うのもしょうがないか??


8月に思うこと

 「八月は、六日、九日、十五日」―。上の句の「八月は」は、「八月や」だったり「八月の」だったりするようで、句の意味と作者のたたずまいが少し違うようだが、作者も何人か居るようだが、ともにイメージは「平和」への願いだ。セミの声が流れる中での式典の静寂は、毎年のことながら、年寄りには「あの日」を、若い人には「記憶の継承」を思い起こさせる。
 戦後72年。痛感するのは「日本の孤立」だ。
 6日広島、9日長崎の平和祈念式典では、国連での核兵器禁止条約の採択にも触れなかった。長崎の田上富久市長は、平和宣言で「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにもかかわらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と批判した。8月15日の戦没者慰霊式で、安倍首相は5年連続でアジアへの「加害」について言及せず、3年続けて「反省」したのは、なぜか天皇だった。
 「慰安婦像」は米国など外国に広がり、韓国ではバスの座席に常駐することにもなった。「徴用者像」も登場、カナダでは、南京大虐殺記念日制定の動きもあって、日本への批判は広がるばかりだ。それに対する日本政府の対応は「解決済み」とか「強制はなかった」だの「民間人大虐殺などはない」と無視したり反論したり、どうみても潔くない。
 国内での原爆をはじめとする戦争被害に「国家無答責」で頑張っている姿勢そのままだ。その延長線上にあるのが核兵器禁止条約の無視。北朝鮮問題への「圧力一辺倒」だ。
 この夏。NHKのドキュメンタリーが頑張った。「会長が代わったらこうも違うのか?」といろんな人に聞かれた。「原爆死 ~ヒロシマ 72年目の真実~」(6日)「本土空襲 全記 録」(12日)「幻の原爆ドームナガサキ戦後13年目の選択」(12日)「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~」(12日)「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った”真相”」(13日)「731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~」(13日)「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」(14日) 「戦慄の記録 インパール」(15日)、と新資料を発掘した番組を流した。「会長が代わったらこうも変わるんですね」と言った人が居る。たぶん、それとは関係ないかもしれない。でも率直な視聴者の言葉だ。
 日本は改めて、侵略戦争の誤りと、事実を事実として率直に認めて謝る。「戦争放棄・非戦・非武装」と「武力に頼らない国」を国是とする。差別や貧困や圧迫や隷従のない世界のために力を尽くす―。みんな日本国憲法に書いてあることを、ちゃんとやればいいだけのことだ。
 「慰安婦像には大使館員が毎朝花を供えるのはどうだろう」と言った人が居る。「北朝鮮には韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と一緒に金正恩のところに押しかけたら」という人もいる。政府はこういう国民の気持ちに応えるべきではないのか。


戦後72年。戦争体験者の思い

 「戦車がうなりを上げ、逃げ惑う人をなぎ倒した。耳をつんざくばかりの轟音と悲鳴。緑の草原は血の色で染まった」
 敗戦直前の1945年8月14日、旧満州(現中国東北部)に侵攻したソ連軍の戦車部隊に襲撃され、1000人以上の日本人らが命を絶たれた葛根廟事件。数少ない生存者の一人、大島満吉さん(81)=東京都内在住=の言葉だ。
 犠牲になったのは、満州北西部の町、興安街(現中国内モンゴル自治区ウランホト)やその周辺に住んでいた民間人。その大半は女性子どもだった。引き揚げのため新京(現長春)を目指す途中、避難場所として向かったラマ教寺院の葛根廟の目前で惨劇は起きた。
 大島さん一家も、何度も死と直面した。逃げ込んだ壕の中で絶命した妹を除いて、逃避行の末、両親と兄、弟と翌年、引き揚げることできた。戦後10年ほどしてから、生還した人々が集まり、東京・目黒の五百羅漢寺で事件のあった8月14日に犠牲者の供養をするようになった。やがて興安街命日会と名付けられ、「初めは父が代表。他界前に私が引き継いだ。ささやかな集まりだが、研究者やジャーナリストなどこの事件に関心を持つ人が少しずつ加わるようになった」。今年5月には、記録映画「葛根廟事件の証言」(田上龍一監督)も完成。「映像を通じてより多くの人々に事件を伝えることができる。決して風化させてはいけない」と大島さんは語る。
 解釈改憲で集団的自衛権の行使が可能となり、「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設した改正組織犯罪処罰法が施行された。このまま改憲の方向へと進むのか、それとも平和国家の道を選ぶのか。
 「8月ジャーナリズム」という言い方があるが、その8月さえも戦争の問題にきちんと取り組まないでどうするのか。いま一度、戦争体験者の話に耳を傾け、当時の資料を発掘し、戦争の実相をより多くの人々に伝える。メディアの義務だ。


安倍首相の改憲への執念は変わらない

 安倍晋三首相は内閣改造後の3日夕の記者会見冒頭、森友学園、加計学園を巡る問題や防衛省のPKO日報問題で国民の不信を招いたとして「改めて深く反省し、おわび申し上げたい」と、約10秒間にわたって頭を下げた。「安倍内閣はこれからも経済最優先だ」とアベノミクス推進を掲げたのは支持率低下のときの常套句で、「またか」という以上の感想はない。発言の中で目を引くのは、憲法改正を巡って「スケジュールありきではない」として、これまで公言していた「今年秋の臨時国会に自民党の改憲案を提出し、2020年に新憲法を施行する」との目標を修正したことだろう。
 東京発行の新聞各紙も4日付朝刊では「改憲日程 首相が軌道修正」(朝日新聞)、「改憲日程ありき 否定」(毎日新聞)などと、この発言を1面トップの見出しに取った紙面が大勢を占めた。中でも産経新聞が脇見出しに「秋の提示方針 先送り」と踏み込んでいるのが目を引く。産経の記事によると、安倍首相側近の萩生田光一・自民党幹事長代理は3日夜、安倍首相の発言について記者団に「軌道修正した」と明言したという。安倍政権支持が際立つ産経の判断だ。自民党の改憲案提出は先送りになったと受け止めていい。傍証もある。自民党の改憲案づくりの実務の中心は、内閣改造で2度目の法務相に就いた上川陽子氏だったのだという。前任の金田勝年氏があまりに閣僚の資質を欠き、批判を浴びていただけに、法相ポストの人選には心を砕いたはずだ。憲法改正よりも、当面の課題として政権運営の建て直しを優先させたことがうかがえる。
 一方で、安倍首相にとって改憲が悲願であることに変わりはない。改憲勢力が衆参両院で、改憲発議に必要な3分の2超の議席を占めている状況にも変わりはない。だから今は、自らの傲慢さによって弱まった「安倍1強」の求心力を回復させることが至上命題—。安倍首相はそう考えているはずだ。当面は手堅い政権運営に努め、国民にはひたすら殊勝さをアピールしていく戦略なのだろう。会見で10秒間に渡って頭を下げたように。森友学園、加計学園、PKO日報の問題でも、野党の審議要求に柔軟に応じるかもしれない。それもこれも、憲法改正を実現させるため。改憲への執念はいささかも変わっていない。


問題の本質は安倍政権の隠蔽体質だ

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の日報の隠蔽疑惑で、稲田防衛相と防衛事務次官、陸上幕僚長が辞任することになった。疑惑を調査してきた特別防衛監察は、稲田氏の隠蔽への関与をあいまいにし、責任に踏み込むことを避けた。
 稲田氏は28日記者会見をし、「隠蔽という事実はなかった。防衛省・自衛隊の名誉にかけてこのことだけは申し上げたい」と強弁したが、隠蔽の疑いはまったく晴れていない。というのも、安倍政権のこの間の振る舞いを見ていると、政権そのものが隠蔽体質に深く染まっているからだ。
 例えば、「共謀罪」法案。参院法務委員会の審議を一方的に打ち切り、参院本会議での採決を強行した。森友学園への国有地売却問題では、衆院厚生労働委員会で民進党議員が安倍首相に質問すると、「法案と関係ない」と反発した与党がいきなり採決を強行。議員の質問権を奪ってしまった。
 森友学園や加計学園の問題では当初、閉会中審査や証人喚問を拒絶した。報道で政権にとって不都合な文書が報じられると「怪文書」といい放ち、正面から真相究明に取り組もうとしない。とりわけ、森友学園の国有地売却に関する資料を廃棄した財務省は何をかいわんや、である。
 陸上自衛隊の日報の隠蔽疑惑をめぐってメディアは、文民統制のあり方にもっぱら焦点をあてて論じている。確かに、憲法9条の制約下で軍事組織をどうコントロールするかということは絶えず問い続ける必要があるが、今回の問題の本質は違う。
 権力に不都合な事実は隠そうとする、あるいは「黒」を「白」といいくるめる、安倍政権の隠蔽体質そのものだ。


ケイ氏の提言から

 国連「表現の自由」特別報告者のデビッド・ケイ氏が、今年6月にジュネーブで開かれた国連人権理事会に、日本に関する調査結果を報告した。現地には日本からのメディアが多数取材に訪れ、いくつかのメディアがこの報告に関して報道していた。
 中には、日本政府と同様に露骨に反発的な報道も見られたが、あらゆる日本のメディアの関連報道に、共通して黙殺された提言があった。実際、いちばん衝撃的な提言だったのは、その黙殺された箇所だ。
 それは、日本のジャーナリストのあり方、とくに記者クラブに関わる部分だった。和訳は外務省のサイトやメディア総合研究所のサイトにアップされているが、その箇所は、たとえば以下のようだ。
〈訪日中に驚いたことには、特別報告者と会ったジャーナリストのほとんどが、自らが置かれる実態を話すことにおいて、匿名を希望したことである。内部告発者を保護する独立組織がないことから、声を上げたことで管理側から報復行為を受けることを恐れていた。にもかかわらず、大手メディアの記者とフリーランスを束ねるジャーナリストの広い連帯組織がなく、そのため連帯や支援、共通目的は限られている。またあらゆる範囲のジャーナリズムを規制する、独立した報道協議会もない〉
〈当局からの情報に直接アクセスする唯一の回路として記者クラブを固定化することや、外部のジャーナリストを受け入れることに消極的であること、またクラブ会員だけに限って定期的に非公式で独占的に情報提供するよう当局と交渉するのができることは、本来の目的とは相反する効果しか生んでいない〉
 さて、これらの指摘に、日本のジャーナリストは、どう答えるべきだろうか。


核兵器禁止条約と憲法9条

 日本の侵略戦争が本格化した盧溝橋事件80年の7月7日、核兵器を非合法化する核兵器禁止条約が、7日、122カ国が賛成して国連の会議で採択された。
 核兵器の使用や開発、実験、製造、保有と、使用をちらつかせる脅しも禁じた史上初めて、歴史的な国際条約だ。ところが、米英仏ロ中の核保有5カ国と、米国の「核の傘」に依存する日本や韓国、ドイツなどNATO諸国の多くは、米国の要請でこの交渉に参加せず、オランダは交渉に参加して反対票を投じた。
 問題は唯一の戦争被爆国、日本は「核の傘」の下にいるとして、米国に追随し、「核保有国と非保有国の溝を深める」として参加を拒否、採択後には「今後も参加しない」と表明した。被爆者の願いを踏みにじり、国際世論に背を向けた恥ずかしい行動だ。
 新聞各紙は例によって、「保有国抜きでは実効性を欠く」とした読売と、以前から不参加を支持してきた産経以外は、条約について、「理想に向かう新たな道だ」(毎日)、「抑止論の呪縛解く一歩に」(信濃毎日)、と評価、「これが被爆者の願いだ」(中国)、「被爆者の声が届いた」(沖縄タイムス)と書いて、日本の姿勢については、「被爆国の責任放棄だ」(朝日)、「日本は国際社会を裏切った」(琉球新報)と批判、「被爆国から発信続けよ」(東京)、)「廃絶に日本も協力せよ」(高知)と訴えた。
 琉球新報は、「日本がなすべきは、核保有国の側に付くことではない。国際社会が日本に期待するのは『核兵器なき世界』を主導し、対立する核保有国と非保有国の『橋渡し役』を積極的に担うこと」「北朝鮮の脅威を強調することで、核兵器を正当化するようなことは被爆国として厳に慎むべき」「核兵器の非人道性を訴え、『核の傘』を畳むことを世界に働き掛けていくことこそが日本の果たすべき役割」と言い切っている。
 考えたいのは、「核」に限らず、「日本は戦争をしない。だから戦力は持たない」という9条の原則だ。70年の議論の中でも、「理不尽な攻撃があれば、守るための行動はするが、『やられたらやり返す』という道は取らない」という「専守防衛」の原則は確立されてきた。「核の傘」の議論も「自衛隊合憲化」の議論も、実は同じ。国際社会が求めた日本や日本国憲法への期待も同じ。そこでもここでも、日本は世界の世論を裏切っている。