旭川発

【旭川発】旧軍都と市民派政治家

 「彼の遺産を見つめ直してほしい」。5月7日、87歳で死去した旭川市出身の元衆議院議員、五十嵐広三の訃報を聞いた政界関係者は、そう漏らしたという。
 旭川市長を経て社会党国会議員に。1994年発足の自社さによる村山富市政権では官房長官を務めた。柔和な笑顔とリベラルな信念を持ち続けた「市民派政治家」が残したものは、決して小さいものではない。
 その原点といえるのが、旭川に誕生させた全国初の恒常的歩行者天国「平和通買物公園」だろう。
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 おいしいコメに恵まれ、道北の新鮮な食材が集まる旭川は現在、人口約35万人。この北海道第2の都市は、戦前まで「軍都」と呼ばれた。1900年(明治33年)、旭川に移設された第7師団は、北の仮想敵国ロシアを意識した最精鋭軍だった。この師団の存在が地域経済の支えであり、誇りでもあった。
 師団があった春光地区(現在は陸自北部方面第2師団司令部がある)と旭川駅を結ぶ道路は「師団通」と呼ばれた。二〇三高地、ノモンハン、あるいはガダルカナルなどの戦地へ赴く兵士たちは、市民の歓声を受けながら華やかにここを行進していった。
 そして、戦後。師団通は平和通と愛称を変え、クルマがひっきりなしに通る国道となった。そこに人間優先の空間を取り戻そう、歩行者天国を作ろうと動きだしたのが、全国最年少の37歳で市長に当選した五十嵐だった。市議会は少数与党のうえ、国、警察の強い反対を受け構想は頓挫するかに見えたが、市民側の運動が盛り上がり、当選から9年後の72年、歩行者天国が実現する。
 かつて軍靴が響き、その後は経済成長優先でクルマ中心だった道は、子供の笑い声、家族の闊歩する足音が占めるようになった。文字通り「平和通」になった瞬間だった。「市民が自分たちで新しいものを作ろうという気持ちになった」。そう五十嵐は回想している。
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 国政の場に活躍の場を移しても人権重視の市民派の姿勢は変わらなかった。村山政権では、アイヌ民族を差別する北海道旧土人保護法の廃止、サハリン残留韓国・朝鮮人の帰国に奔走。アジア女性基金設立など戦後処理問題に熱心に取り組んだ。政権のキャッチフレーズとして「強い国よりやさしい国」を掲げ、平和、人権重視の姿勢を打ち出した。そして一つの結実ともいえるのが、日本の戦争責任を認めた「村山談話」(95年)づくりだった。
 市民、地域、人権、平和。五十嵐が政治家として貫いてきた言葉を抜き出して見ると、それは憲法の理念そのものにも思えてくる。
 安倍晋三政権は、2015年に発表する戦後70年の「談話」で、村山談話に盛り込まれている植民地支配、侵略を認める文言を見直す方向と伝えられる。「やさしい国」とは随分違った「美しい国」なるものの正体がうかがい知れる。
 旧軍都が生んだ市民派政治家の遺したもの?。確かに今こそそれを見つめ直さなければいけない。=敬称略=
(静)