現場から

【渡良瀬発】田中正造の思想を現代に生かす

 足尾銅山鉱毒事件の解決に生涯を捧げた明治期の代議士、田中正造(1841-1913)が今、あらためて注目を集めている。没後100年の節目を迎えたことに加え、日本の「公害の原点」といわれるこの事件をめぐり時の政府を鋭く批判した正造の言葉が、今の日本社会の構造的問題を言い当てているからだろう。 「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」 この言葉に代表される正造の訴えは、東京電力福島第一原発事故、さらにはチッソ水俣病、沖縄の米軍基地問題などにもピタリと当てはまる。経済や政府の利益を優先し、人の命をないがしろにするこの国の社会システムは、100年経った今もまったく変わっていないのだ。

 ▼現場から学び進化した
 正造は江戸末期、栃木県安蘇郡小中村(現在の佐野市)の名主の長男として生まれた。栃木県議会議員を経て、第一回衆議院議員選挙から6回連続で当選。小柄でひょうひょうとした風貌と辛辣なヤジで全国に名を馳せ、応援演説などにも引っ張りだこだったという。
 教科書などからは、強制破壊された旧谷中村(現在の栃木市)の村民とともに闘った「市民派」のイメージが強いものの、最初からそうではなかったようだ。「押し出し」と呼ばれる被害農民の集団請願には当初否定的で、政治家として自らの力で政府を動かし問題解決を図ろうとした。
 しかし当時、足尾銅山は「富国強兵」「殖産興業」の象徴。戦費調達、外貨獲得の有力な手段だった。そのため政府は利益・国益を優先し、無理な操業を続ける古河市兵衛ら銅山側を擁護、鉱毒を垂れ流された渡良瀬川下流域の被害民の苦しみは無視し続けた。さらに被害農民の抗議活動を弾圧したり、公害・加害事件を洪水・治水問題にすりかえ、旧谷中村民を強制移住させて遊水地化する計画を立てた。こうした政府の姿勢、ごまかしに正造は怒り、生き方を変えていった。
 戦争に対する姿勢も、鉱毒事件闘争を経て変わった。日清戦争前には国会で賛成演説を展開したが、日露戦争を前に「非戦論」、その後軍備全廃による「無戦論」へと発展させた。聖書を読み、鉱毒事件闘争を支援するキリスト教関係者との交流も影響したとされるが、最大の理由は、国益のためとする戦争が、市井の人たちを苦しめるものでしかないことに気付いたからだった。
 国家間の紛争は腕力ではなく、話し合いで解決するべきだと主張。外交費を増やし日本の若者が平和の伝道者として世界で活躍することまで提言した。100年以上も前に、平和憲法の思想を確立していた。思想家とも言われる正造だが、頭で考えたわけではなく、失敗を経て成長し続けた。

 ▼憲法を生かし行動した
 佐野市郷土博物館にある正造関連の展示室には、明治天皇への直訴状の写しなどとともに、細い糸でつながれた新約聖書(マタイ伝)と帝国憲法が遺品として展示されている。正造が信玄袋に入れて常に持ち歩いていたものだ。聖書を「心」の支え、憲法を「行動」の支えとし、憲法が政治家の権力乱用を制限する「立憲主義」の視点を持ち合わせていたことがうかがえる。帝国憲法は不十分ながら、信教の自由や言論の自由、集会・結社の自由、請願権などを保障しており、正造はこれを存分に活用し鉱毒事件解決に奔走していたのだ。
 没後100年のことし、10月に「記念祭」が予定されるなど、地元では顕彰事業が展開されている。ただ「郷土の偉人」として称え、観光目的化する現状に懸念の声もある。大切なのは、正造の思想を現代の課題に照らし、一人一人が問題意識を持って行動すること。それこそが「顕彰」であり、志半ばで病に倒れた正造が最も望んでいることだということを忘れてはならない。(洋)


【写真説明】ひもでつながれた帝国憲法とマタイ伝の合本=佐野市郷土博物館


【写真説明】ガラスに反射した肖像画と、非戦論を記した正造の直筆扇=佐野市郷土博物館


【福島発】「復興ボランティア」に危険はないか

 8月11日付「福島民報」のトップ記事の見出しは「汚染水“土の壁”越える?」「汚染水保管 破綻の恐れ」だった。その前日8月10日は、高校野球で地元の活躍を伝える「聖光学院 愛工大名電に逆転勝ち」とともに「第一原発 汚染水くみ上げ開始」、9日は「地下水の海洋放出検討?汚染水対策委」、8日は「汚染水対策に国費検討」「海に流出1日300t」の文字が躍り、手の施しようがない放射能汚染水対策の記事が連日続いている。
 ところが、その8日の5面には驚くべき写真が掲載されていた。「復興への絆強める」との見出しで、「県外の高校生が南相馬市を訪問した」という記事。「この高校生は千葉県四街道市の千葉敬愛高校の生徒有志20人。同校の“震災ボランテイア学習”の一環で、福島県の復興に向けた取り組みを紹介する任意団体<福島学グローバルネットワーク>(本部・福島市)が協力した。生徒は六月から事前学習として、長崎大学の研究者や川内村の職員から放射線の知識や地域の現状などを学んだ」という。

 ▼マスクも付けず除染に協力
 そして、この写真に写っているのは、原発事故で立ち入りが制限されたために放置された自転車に絡みついた草を取り除いている女子高生たち。JR常磐線小高駅の自転車置き場で、女子生徒たちはマスクもつけず軍手をはめた半袖姿だった。記事にはこの場所の放射線量や健康被害への懸念などには全く触れていなかったが、危険はないのか?
 記事は続いて「生徒は小高地区を視察後、バスで川内村に移動し遠藤村長と懇談した」と書かれていた。
 川内村は住民を元の村に戻すことが「村の復興」につながる、として村長が先頭に立ち、音頭をとっている村。県外の高校生に「ボランテイア活動に協力」と称して、このような作業に携わらせるよう協力した「福島学グローバルネットワーク」という任意団体は、今年6月28日、福島県に設立申請を受理され、7月9日に県報登載されたばかりの団体。 代表者の黒澤文雄氏は、2011年8月、株式会社「全旅」や全国旅行業協会(ANTA)との会合で、福島県観光物産交流協会観光部統括部長という立場で「当協会では視察旅行や福島を応援したいと考えている団体など特定のマーケットにアプローチしています。東京都庁や東京都教育庁との連携もその一つです」「観光性の旅行はほとんど消え1.2年は難しい。危機管理を学ぶ現地視察ツアーなど特定のマーケットへの訴求が大事」などと言っていた団体だった。

 ▼若者の危険を顧みず「復興」へ
 「絆」や「復興」の名のもとに、教育現場というマーケットで、若者を危険にさらしてでも動員し、「福島の観光」「復興する福島」をアピールし、ひいては「原発の推進」を陰で操るようにも見受けられる構想。それは既に2年前から準備されていたが、それがいとも簡単に、「実現」されてしまっている。
 問題の小高区の自転車置き場は、最近人気の被災地ツァー(ダークツーリズム)で、よく案内される場所のひとつである。
 地元の案内人の一人は、「私は被災地を視察したいという人々を受け入れて案内することがあるが、そこで案内する人々はほとんど成人で、大体が中高年以上。小高駅前の自転車置き場はよく案内します。しかし、そこでは説明するだけで、自転車などには触れないように、と注意する。そこは放射線量が高いと見なければならないからで、この行動は除染の素人が素手で除染するのと同じこと。ましてや高校生に放置自転車の草や泥を払うなどさせるのは、させるべきではない」と言っている。

 ▼始まった訴訟、正体不明団体の動き・・・
 地元では今年3月11日、約800人の原告が、国と東京電力を相手どって「生業を返せ、地域を返せ!」と訴訟を起こした。東京電力福島第一原発の大事故から2年5か月。この間、政権が変わり、事故の収束の行方は全く見通しがたたず。一方で原発の再稼動への動き、そして海外への原発輸出に総理大臣自らが乗り込んでいく、という政治・経済状況の中で、水面下で練り上げた計画を一気に実行に移そうとする正体不明な団体。若者の「復興ボランティア」や「ツアー」は、これからあちらこちらで姿を見せ始めてくるような気がする。福島の人間には、気を引き締め目を凝らし、世情を見続けていくことが課せられている。(ね)


【伊方発】広がる原発差し止め訴訟 -原告を募集中

 各地の原発再稼働に向けて、原子力規制委員会の審査が行われているが、愛媛県の伊方原発では、運転差し止めの第3次訴訟の準備が進んでいる。「伊方原発をとめる会」は、ぜひ原告に応募してほしいと呼びかけている。

 ▼これまでにないスピード審査
 「伊方原発の再稼働が狙われている」?8月4日、愛媛新聞が報じた規制委員会の審査ぶりは、地元を驚かせるに十分なものだった。「規制委員会は、これまでにないスピードでの審査を行っている」というもので、愛媛新聞は、規制委員会での伊方原発の審査について、要点次のように報じていた。
 ①7月16日から8月1日までに計6回、平均3日に1回の開催。原子力安全・保安院の審査は多くても1~2週間に1回程度。今回のペースは圧倒的に速い。
 ②7月30日の審査会合では、規制庁職員が「私が説明するのも何ですが?」と切り出し、四電の申請内容を「代弁」する場面があり、規制側のなれ合い体質は払拭されていない。
 ③審査状況や既に事故対応拠点となる免震重要棟が整備されていることなどから、審査が先行しているとの見方が支配的である。
 ?というのだ。

 ▼運転差し止め訴訟
 これに対し、かねてから運転差し止め訴訟を闘ってきた「伊方原発を止める会など」は、第3次訴訟を準備、8月20日に提訴する運びだ。
 1次・2次と合わせて原告を1000名規模とし、四国の95市町村全てから原告を出そうという取り組みだ。訴訟支援の中心には「伊方原発をとめる会」がある。会の共同代表をみればその広がりが分かる。
 共同代表は14人。真宗大谷派専念寺住職、愛媛県平和運動センター事務局長、弁護士、愛媛医療生協前理事長、コープ自然派理事長で農業を営む方、インマヌエル松山キリスト教会牧師で福島県出身の方、松山大学教授で福島県出身の方、コープえひめ元理事長、愛媛労連執行委員、愛媛県原爆被害者の会事務局長、医師、愛媛大学名誉教授、原発をなくす県民連代表幹事、福島県南相馬市から避難して農業に従事している方…など。
 同会は、訴訟支援だけでなく、知事あてに、①再稼働をしないこと、②使用済み燃料の厳重管理と廃炉計画をたてることの二点を求める署名も展開。すでに21万筆を超えて提出した。講演会も開催してきた。原発に関わる専門家、地震学者、活断層の研究者、さらには脱原発を訴える署名な文学者の講演会などだ。

 ▼ぜひ、あなたも原告に
 今回の第3次運転差止訴訟では、初めて地元伊方町からも原告が加わるが、全国から原告を集めている。募集は8月15日まで。既に、愛媛出身の作家・早坂暁さん、片山恭一さんも原告になることが確定。日弁連前会長の宇都宮健児さん、絵本作家で詩人・随筆家のアーサー・ビナードさんも原告になる。
 「伊方原発をとめる会」の構成を見れば当然のことだが、8月冒頭に行われた原水爆禁止の世界大会では、原水協・原水禁いずれも大会の中でも、この裁判が紹介され原告を募る訴えが行われた。8月8日、「核兵器と原発」が議論される分科会には、三上元・湖西市長が参加した。現職市長として自ら原告になった原発関係の裁判について語りつつ、参加者にも原告になることを勧めた。この記事をごらんになった皆様も、急いで原告に名乗りを上げてほしい。
 伊方原発をとめる会のホームページ( http://www.ikata-tomeru.jp/ )から用紙をダウンロードして、ぜひ、原告に。(W)


【広島発】オスプレイ本土訓練が本格化 -配備と低空飛行反対で市民ネット結成

 広島県北部から島根県にかけて広がるエリア567とよばれる米軍機の訓練空域下では低空飛行が近年増えている。4月下旬に低空飛行の被害が深刻な島根県浜田市旭町などを訪れ、米軍機の対地攻撃訓練の仮想標的となっている同町の刑務所施設付近にある「あさひ子ども園」などで関係者の話を聞いた。園長によると、1月に町内の民家の窓ガラスが衝撃波で割れる被害があった時は、墜落したかと思うような爆発音と風圧を感じ、園児が「子ども園を壊さないで」と叫んだという。「園児の情緒面に与える影響を考えると…」と表情を曇らせた。江津市桜江町では米軍機の飛行訓練に遭遇した。谷間の上空で3機が旋回して空中戦の訓練を十数分続けた。高度があったが、機影がはっきり見え、腹にずんとくる轟音で日常生活にはない危険と不安を感じさせた。この1週間後にはエリア内の広島県三次市で米軍機が小学校の真上などを低空飛行し、子どもたちや住民を脅かした。
 岩国基地の米軍機を中心とする低空飛行訓練に加え、3月6日からは沖縄・普天間基地に配備された垂直離着陸輸送機オスプレイの本土訓練が始まった。オスプレイは安全性に問題があり、世界一危険な飛行機といわれるが、米軍は岩国基地を拠点にエリア567を含め東北から九州までの広い空域で低空飛行訓練を行う。訓練地域では「本県上空も訓練ルートに設定されており、安全性に疑問がある機体が野放図に飛び交う事態を認めるわけにはいかない」(3月23日付福島民報論説)など不安と懸念が強く、全国知事会会長も3月21日に安倍晋三首相にオスプレイの訓練に関して自治体への十分な情報提供と説明を要求した。首相は「(米側に)情報提供を要請している」と答えたが、6月下旬までに5回実施された本土訓練では、岩国基地の地元山口県に機数、飛行時間、高度、訓練ルートなどを事前に示したのは初回だけ、2回目以降は機数と大まかな到着時間だけと早くも横暴ぶりをあらわにしている。
 こうした中、5月12日、三次市で「オスプレイの配備と米軍機の低空飛行を許さない市民ネットワーク」の結成集会が広島、島根、山口、岡山、大分の5県から約90人が参加して開かれた。参加者は岩国基地の拡張・強化や米軍機の低空飛行訓練に反対してきた住民ら。それぞれこれまでの運動の経緯と現状を報告、住民の安心と安全を守るために市民と自治体が一体となって日米両政府にオスプレイ配備の撤回と米軍機の低空飛行の中止を迫っていくことを宣言した。
 とはいっても米軍機の低空飛行はやまず、6月4日にはエリア内の北広島町や三次市でパイロットの顔が見えるほどの超低空で飛行、小学校近くで電車が通る時のガード下レベルの103.6デシベルを記録した。翌5日には浜田市旭町で1日の70デシベル超の騒音回数が2011年12月の測定噐設置以来、最多の45回を記録した。
 さらに7月1日には防衛政務官が山口県と岩国市を訪れ、普天間基地に追加配備するオスプレイ12機を7月最終週に岩国基地に陸揚げすると通告した。報道によると、日米両政府は追加配備が選挙情勢に影響しないように参院選後の日程にしたという。
 日本の航空法では150メートル以下(人・家屋密集地では300メートル以下)の飛行を禁止しており、米軍機もこの基準を用いるとしているが、守られていない。学校や市街地の上での低空飛行訓練は米国では許されていないし、オスプレイの訓練や配備もハワイや米本土では住民の異議で撤回されたり、中止されたりしている。政府が安保条約・日米地位協定下で日本の空の主権を放棄しているために命と安全の二重基準がまかり通っているのが現状だ。現状の壁は厚いが、二重基準が一目でわかる安保の最も弱い環といえ、市民・住民が自治体と一体となって求めていけばオスプレイも低空飛行もやめさせることができると確信している。(堺真知)


【東京発】読者の疑念招く新聞社トップと首相の会食

「新聞労連・東京新聞労組ニュース『推進』No.44」(6月26日付)から
————————————————————————————————
 安倍首相が、東京新聞を発行する中日新聞社の小出社長と会食した。このことが東京新聞労働組合の機関紙で取り上げられている。以下はその抜粋である。
————————————————————————————————

 小出社長が安倍首相と会食したらしい-。そんなうわさを聞いて、はじめは耳を疑った人も少なくないのではないでしょうか。
 安倍首相が新聞やテレビの経営者らと、やたら晩飯を食っているという話は少し前から聞こえていましたが、東京新聞・中日新聞がそのような人たちと一線を画しているのなら、それはそれで立派なこと、というか、フツーのことだったのです。
 けれど、うわさは本当でした。5月14日、小出社長と長谷川論説副主幹が、西麻布のフランス料理店「彩季(さいき)」で安倍首相と2時間ほど会食したことが、翌日の新聞各紙「首相動静」「首相の一日」欄で報じられていました。
 ちなみに、この「彩季」という店は、インターネットで検索すると「完全個室のフレンチレストラン」「隠れ家レストラン」などと紹介されています。
 それはともかく、組合はこの社長と首相の会食について、事実関係や経緯、意図などを夏季一時金の第3回団交(5月21日)と第4回団交(5月28日)でただしました。
 その具体的なやりとりは、5月28日付『推進』No.40と、6月10日付『推進』No.42でお伝えしましたが、あらためて要点だけまとめると、会社の説明は次のような内容になります。

————————————————————————————————
■会社(片田労担代理)の説明要旨
 会食の話は首相側から来た。費用は中日新聞社が負担した。会食したのは3人。小出社長、長谷川論説副主幹、安倍首相だけだ。
 10年ぐらい前に名古屋で会っているが、ほとんど知らない人だから1回話を聞きたいと。話の詳しい中身は特にない。飯を食いながら人生論を戦わせたと聞いている。懇談したと。報道するに値するような話はなかった。
 批判すべき対象と絶対に会食してはいけない、ということではない。機会があれば行ってもいいのでは。たとえば支局長が地元の知事や市長と懇親することもある。それでジャーナリズムが崩れるとは思わない。
 (社長と首相の会食が)どう思われるかも含めて「今回はまずかった」とは思わない。各社みんなやってるみたいだし、紙面は(会食後も)変わっていない。
————————————————————————————————

 「各社みんなやってる」(片田労担代理)。だから東京新聞・中日新聞のトップも同様にやっていいかどうかは別にして、安倍首相が報道機関のトップや編集幹部、論説幹部らとひんぱんに夜の席を設けている事実を、まず押さえておきましょう。

————————————————————————————————
■安倍首相と会食したマスコミ経営者や幹部たち
1月7日 読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長=パレスホテル内の日本料理店「和田倉」
  8日 産経新聞の清原武彦会長、熊坂隆光社長=ANAホテル内の日本料理店「雲海」
  10日 時事通信の田崎史郎解説委員=赤坂の日本料理店「陽羅野家」
2月7日 朝日新聞の木村伊量社長=帝国ホテル内の中国料理店「北京」
  14日 産経新聞の清原武彦会長=ホテル「ザ・プリンス」内の中国料理店「陽明殿」
  15日 共同通信の石川聡社長=白金台の日本料理店「壺中庵」
3月8日 日本経済新聞の喜多恒雄社長=帝国ホテル内のフランス料理店「レ・セゾン」
  13日 日本テレビの粕谷賢之報道局長=赤坂のレストラン「アークヒルズクラブ」
  15日 フジテレビの日枝久会長=芝公園のフランス料理店「クレッセント」
  22日 テレビ朝日の早河洋社長、幻冬舎の見城徹社長=首相公邸
  28日 毎日新聞の朝比奈豊社長=ホテル「椿山荘」内の日本料理店「錦水」
4月4日 時事通信の田崎史郎解説委員、読売新聞の小田尚論説委員長、朝日新聞の曽我豪政治部長=永田町の中国料理店「聘珍楼」
  5日 日本テレビの大久保好男社長=帝国ホテル内の宴会場「楠」
5月7日 時事通信の西沢豊社長、田崎史郎解説委員=パレスホテル内の日本料理店「和田倉」
  8日 読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長、日本テレビの大久保好男社長(他に長嶋茂雄氏、松井秀喜氏も同席)=首相公邸
  14日 中日新聞の小出宣昭社長、長谷川幸洋論説副主幹=西麻布のフランス料理店「彩季」
  15日 読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長=パレスホテル内の日本料理店「和田倉」
6月12日 NHKの島田敏男解説主幹、産経新聞の石井聡論説委員など報道各社の論説委員・解説委員ら=赤坂の中国料理店「赤坂璃宮」
(以下はニュース発行後に確認)
6月20日 河北新報の一力雅彦社長、福井新聞の吉田真士社長、信濃毎日新聞の小坂壮太郎社長、静岡新聞の大石剛社長、京都新聞の白石方一会長兼社長=ホテルオークラ内の中国料理店「桃花林」
7月1日 読売新聞の飯塚恵子論説委員ら=ホテルグランドパレス内の日本料理店「千代田」
————————————————————————————————

 分かっているだけでも、こんなにありました。
 ナベツネさんのように、もとから政界のフィクサーのような人が首相と繰り返し晩飯を食っていても今さら驚きませんが、もはやそういう次元ではなく、主要メディアのトップがこぞって、時の最高権力者との酒宴にはせ参じている、と思われても仕方がありません。その中のひとりに、私たち東京新聞・中日新聞のトップが仲間入りしてしまった、ということになります。
 この問題、社内のみなさんはどうお考えでしょうか。
 私たちの組合は、団交で会社に「こういう会食は避けるべきだ」「権力を監視する、報道の独立を確保するという点から考えれば、控えたほうがいい」「担当記者が取材対象と食事をするのとは違う」「国のトップと新聞社が何をしているのかと怪しまれるような行為は、やめたほうがいい」と主張しました。
 小出社長は、読者の目をもっと意識すべきだと思います。「東京新聞は紙面で頑張っていると思っていたが、社長は首相とよろしくやっているのか」と感じた読者もいるのではないでしょうか。私たち従業員も、読者や取材先の人から聞かれても説明できません。
 少なくとも安倍首相の側には何らかの対マスコミ戦略があって、こういう会食を繰り返しているのでしょう。それに「乗っかる」「取り込まれる」ことの危うさを、小出社長や側近たちはどのように検討したのでしょうか。
 「紙面は(会食後も)変わっていない」と片田労担代理は言いました。この言い方にも、実は注意が必要です。よく似たセリフが現場では聞かれるのです。「筆を曲げなきゃいいんだよ」。中日の地方記者が取材先から広告を取るように事実上、業務命令される「観光と産業」(現「中部新時代」)の話です。
 筆を曲げなければ(紙面をゆがめなければ)やってもいいのか…? いや、そうではないでしょう。記者には記者の倫理があり、新聞経営者にも守るべき節度があるのではないでしょうか。
 新聞記者の基本は、人と会うことです。飯も食えば酒も飲みます。しかし、それを承知であえて言えば、小出社長はすでに一介の現場記者ではない。そこを踏まえないと「別にいいんじゃないの」と流れてしまい、読者や識者の批判には耐えられないと思います。


【沖縄発】「慰霊の日」の3本の矢の狙い

 4月28日、安倍晋三首相は政府主催の「主権回復の日」記念式典を憲政記念会館で催した。戦後68年経ってなぜ唐突に主権回復の日なのだろうか。逆に式典は、安倍首相自らが、今年のこの日に至ってもこの国に主権が存在しないことを「公」に認めた日でしかなかったのではないのか。
 東京の式典と同時刻、沖縄では式典を糾弾する「沖縄大会」が宜野湾市で開催された。「4・28」。沖縄県民の感情は「屈辱の日」でしかない。
 1945年、ニッポンは戦争に負けて米軍の占領下に置かれた。6年後の1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結され、その次の年の4月28日に条約が発効。と同時にその日をもって沖縄と奄美、小笠原はニッポンから切り離され(分断され)、米軍の施政権下に置かれたのは歴史の事実である。
 その後、奄美は鹿児島へ、小笠原は東京へと一足先に復帰した。だが沖縄はアメリカによる「異民族支配」が実に27年間も続き、ニッポンに復帰したのは1972年のことだった。
 27年の間に何があったのか。沖縄県外にあった米軍基地・施設が沖縄にほぼ一極集中的に移転してきた。高等弁務官の布令・布告という「紙」一枚で沖縄県民は翻弄され、米軍が起こす事件事故で県民が犠牲になろうとも加害者の米兵は罪を問われない。逆に被害者への謝罪・補償さえもなかったのだ。「やられ損、殺され損」。そのような状況が27年間も続いたのである。
 そして復帰41年経った今なお、普天間基地に象徴される海兵隊をはじめとする米軍の傍若無人な振る舞いは1972年以前といったい何が変わったというのだろうか。欠陥機オスプレイの強行配備(今夏にも12機追加配備計画あり)、普天間基地の名護市辺野古への移設ごり押し(沖縄では、国家によるストーカー行為という)、基地の負担軽減と胸を張った嘉手納基地より南の施設の返還も、沖縄に集中する米軍専用施設面積の割合がわずか0・1%減るだけだ。しかも、すべてが沖縄県内の既存施設への移設でしかない。まさに子供だまし。厚顔無恥。悪質極まりないとはこのことを言うのであろう。
 今年の「4・28」ほど、政府と沖縄県民が対峙したことはない。安倍首相の「主権回復」という狭隘な目線に対し、「屈辱」という沖縄県民の歴史的背景からの視野と視点が際立った。米軍に今なお広大な基地を提供し続けていながら「主権回復」と喜ぶ心理とはどういうものなのか。いくら沖縄県民が考えても理解しがたいものがある。もちろん感情論ではない。歴史を都合よく解釈する為政者に対して事実を突きつけたまでのことである。
 5月15日。復帰の日。沖縄では「復帰の内実を問う」5・15平和行進が毎年行われている。今年は17日から3日間、行われた。全国からの参加者を含めた行進団は米軍基地や自衛隊基地、沖縄戦の激戦地などを見ながら歩いた。歩くことでこの国の矛盾が鮮明になる。
 沖縄本島の南端・糸満市摩文仁の国立戦没者墓苑で、6月23日に沖縄戦で犠牲となった戦没者を悼む式典が行われる。今年は安倍首相のほか、はじめて外務、防衛の両大臣が参列するという。なぜ? と県民はいぶかる。分かり切ったこと。普天間基地の辺野古移設をはじめとする米軍基地の沖縄への押し込め。さらに尖閣問題に名を借りた自衛隊の増強配備。そして仲井真知事への工作と、これまで政府がとってきた、「飴をしゃぶらせ」て県民を分断する工作以外の何ものでもないのは確かである。
 「アベノミクス」の3本の矢とは、成長戦略などでは決してない。景気回復といいながら国民の生活は豊かになったのだろうか。雇用の切り捨て、社会保障の切り捨て、生きる術がすべて切り捨てられる。すでに株価は乱気流の中に突入し、世界経済の不安定材料の要素ともなってきた。それもお構いなしだ。
 真の狙いは、沖縄の「慰霊の日」に首相、外相、防衛相の3本の矢? が揃うことでうるさい沖縄県民を黙らせ、米軍基地を押し込めた上で「憲法改悪」の地ならしをするつもりなのだろう。国民の命や暮らし、経済、東北の被災地、福島の原発被害の対策などより、まずは7月の参議院選挙で過半数を制し、憲法をいじろうとする目論見が透けて見える。
 右傾化するこの国に果たして未来はあるのか。
 翻って、自戒を込めて言おう。ジャーナリストの無知と無関心ほどさもしいものはない。権力と対極にあるのがジャーナリズムなのではないのか。(風)


【諏訪発】誰が「集会」を判断するのか

 取材現場で、憲法が保障する「表現の自由」に、一定の制限を加える自民党改憲草案に懸念を示す意見をよく耳にする。長野県の中部、諏訪市で古書店を営む山崎秀訓さん(71)もそんな一人だ。
 「以前は政治や市民活動に縁遠かった」という山崎さん。昨年6月、当時の民主党政権が関西電力大飯原発(福井県)の再稼働を決めたことに矛盾や憤りを感じ、同7月、都内で開かれた再稼働に抗議する「10万人集会」に参加した。地元に帰り、近所の駅前で毎週金曜日の夕方、マイクを握って通行人に脱原発を訴える抗議行動を始めた。
 「署に来て下さい」
 抗議行動を始めて1週間ほどがたったある日、地元の諏訪警察署警備課から山崎さんに電話があった。恐る恐る出向くと、同署員から「山崎さんたちの抗議行動は県公安条例が定める『集会』に当たる可能性がありますね。集会届を出して下さい」と言われた。
 山崎さんは「10人くらいしか来ていない」「あくまで自主的な集まりだ」と主張した。その日は申請不要で済んだが、山崎さんたちの抗議行動は少しずつ人数が増えた。同9月、地元の新聞に、山崎さんたちの抗議行動に「30人ほどが参加」「シュプレヒコールを上げた」と伝える記事が載ると、再び同署に呼び出された。
 署員は「30人は多いですね」「シュプレヒコールを上げると集会でしょう」などと迫った。山崎さんは、数万人が集まった官邸前抗議行動でも、主催者団体は警視庁に集会届を出していないことを例示した。しかし、署員は納得せず、「事を荒立てたくない」と山崎さんはしぶしぶ集会届を出すことにした。
 長野県警警備2課によると、同条例には参加人数や「シュプレヒコールの有無」など、何を「集会」だと定めるか具体的な基準はなく、山崎さんたちの抗議行動は「総合的に『集会』だと判断した」という。
 「法や条例を運用する権力者側の判断で、物事のとらえ方が大きく変わる」
 山崎さんの目には、県警や警視庁の判断がそんな風に映る。山崎さんは集会届の提出と受け取りで、週2回の諏訪署通いを続けている。
 自民党は改憲草案21条の2で、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動は認められない」と定めた。公益とは何か、公の秩序とは誰が決めるのか?。原発推進姿勢を見せ始めた与党・自民党とは相いれない脱原発抗議行動は、時の政府が「公益を害する」と判断するのではないか? そんな不安にさいなまれながら、山崎さんたちは今も抗議行動を続けている。(容)


【旭川発】旧軍都と市民派政治家

 「彼の遺産を見つめ直してほしい」。5月7日、87歳で死去した旭川市出身の元衆議院議員、五十嵐広三の訃報を聞いた政界関係者は、そう漏らしたという。
 旭川市長を経て社会党国会議員に。1994年発足の自社さによる村山富市政権では官房長官を務めた。柔和な笑顔とリベラルな信念を持ち続けた「市民派政治家」が残したものは、決して小さいものではない。
 その原点といえるのが、旭川に誕生させた全国初の恒常的歩行者天国「平和通買物公園」だろう。
      ◇
 おいしいコメに恵まれ、道北の新鮮な食材が集まる旭川は現在、人口約35万人。この北海道第2の都市は、戦前まで「軍都」と呼ばれた。1900年(明治33年)、旭川に移設された第7師団は、北の仮想敵国ロシアを意識した最精鋭軍だった。この師団の存在が地域経済の支えであり、誇りでもあった。
 師団があった春光地区(現在は陸自北部方面第2師団司令部がある)と旭川駅を結ぶ道路は「師団通」と呼ばれた。二〇三高地、ノモンハン、あるいはガダルカナルなどの戦地へ赴く兵士たちは、市民の歓声を受けながら華やかにここを行進していった。
 そして、戦後。師団通は平和通と愛称を変え、クルマがひっきりなしに通る国道となった。そこに人間優先の空間を取り戻そう、歩行者天国を作ろうと動きだしたのが、全国最年少の37歳で市長に当選した五十嵐だった。市議会は少数与党のうえ、国、警察の強い反対を受け構想は頓挫するかに見えたが、市民側の運動が盛り上がり、当選から9年後の72年、歩行者天国が実現する。
 かつて軍靴が響き、その後は経済成長優先でクルマ中心だった道は、子供の笑い声、家族の闊歩する足音が占めるようになった。文字通り「平和通」になった瞬間だった。「市民が自分たちで新しいものを作ろうという気持ちになった」。そう五十嵐は回想している。
       ◇
 国政の場に活躍の場を移しても人権重視の市民派の姿勢は変わらなかった。村山政権では、アイヌ民族を差別する北海道旧土人保護法の廃止、サハリン残留韓国・朝鮮人の帰国に奔走。アジア女性基金設立など戦後処理問題に熱心に取り組んだ。政権のキャッチフレーズとして「強い国よりやさしい国」を掲げ、平和、人権重視の姿勢を打ち出した。そして一つの結実ともいえるのが、日本の戦争責任を認めた「村山談話」(95年)づくりだった。
 市民、地域、人権、平和。五十嵐が政治家として貫いてきた言葉を抜き出して見ると、それは憲法の理念そのものにも思えてくる。
 安倍晋三政権は、2015年に発表する戦後70年の「談話」で、村山談話に盛り込まれている植民地支配、侵略を認める文言を見直す方向と伝えられる。「やさしい国」とは随分違った「美しい国」なるものの正体がうかがい知れる。
 旧軍都が生んだ市民派政治家の遺したもの?。確かに今こそそれを見つめ直さなければいけない。=敬称略=
(静)


【岡山発】「人間裁判」の朝日茂氏生誕100年

 「人間裁判」と呼ばれる。国の社会保障政策の貧困を告発、人間の尊厳を問うたからだ。その先人こそ、朝日茂。今年は、朝日氏が岡山県津山市に生まれて100年、そして50回忌の記念すべき年だ。
 結核を病み、国立岡山療養所で療養生活を送っていた朝日氏。国は、音信不通の兄を探し出して仕送りさせ、生活扶助を打ち切った。仕送りは、苦しい生活を送りながらも、弟に栄養のあるものを食べさせたいと願う肉親の愛情からだった。その思いを踏みにじる国の措置に、朝日氏は怒った。1957年、東京地裁提訴。文字通り血を吐きながらの闘いだった。
 60年、一審勝訴。支援の要請や主張の裏付けとなる資料作成に心血を注いだ朝日氏と、その声を真摯に受けとめた浅沼武裁判長。画期的な判決だった。憲法25条1項に由来する生活保護法3条の「健康で文化的な生活水準」の解釈では、「国民が単に辛うじて生物としての生存を維持できるという程度のものであるはずはなく、必ずや国民に『人間に値する生存』あるいは『人間としての生活』といいうるものを可能ならしめるような程度のものでなければならない」とした。ぎりぎりの命の問題という「生存権」の発想を超え、より豊かに25条を発展させた「生活権」保障を視野に入れている。さらに判決は、国の財政に踏み込み、「最低限度の水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである」とした。最初に必要な財源を確保すべきで、財源不足は通用しないと釘を刺したのである。
 訴訟は、国の控訴を受け、63年に東京高裁逆転敗訴、朝日氏の死去を挟んで67年、最高裁で「上告人死亡により終了」した。それでも、一審判決の放つ輝きは、今も色あせていない。社会保障を後退させようと狙う時の政府を、この判決が縛りをかけてきた。この制約を取り払うため、昨年発表された自民改憲案には、83条2項に「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない」とする条文を忍び込ませている。権力者がいかにこの判決に苦しめられたかを雄弁に物語っている。
 一審判決から半世紀余を経て、8月から生活保護基準が最大10%引き下げられようとしている。生活保護受給者の96%、200万人を直撃する。しかし、影響はそれにとどまらない。国民健康保険料や介護保険料の減免、住民税非課税基準、就学援助基準、年金、最低賃金など、広く国民生活一般に及ぶ。社会保障と税の一体改革の下、切り下げ攻撃が続くことが予想される。
 闘いの深化が求められる。憲法を守ることにとどまらず、血肉化し活かす闘いだ。朝日氏は、今もその闘いの先導者だ。岡山では、NPO法人朝日訴訟の会によって、5月19日に朝日氏が療養生活を送った早島町で、養子縁組し訴訟を引き継いた朝日健二氏を招いて、記念講演会が開かれる。また、朝日氏の遺品や一審判決起案原本、ビラなど4000点を集め、順次同会のホームページ上で公開している。これまでに約半分の2000点が公開されている。闘いの息吹を今に伝える資料。「後に続け」。朝日氏の声が聞こえてくる。(MF)


【写真説明】岡山県早島町にある「人間裁判」の碑と碑文


【高知発】いびつな民主主義

 突然のことだった。普天間飛行場(沖縄県)に配備されている新型輸送機MV22オスプレイ3機が3月6~8日、高知県上空などに設定した「オレンジルート」で本土初訓練を実施した。
 在日米軍が事前通告していた飛行ルートは九州地方。それが訓練まで24時間を切って突如、変更された。その理由は何か。米軍からは詳しい情報提供はない。こちらが防衛省に問い合わせして、陸上自衛隊が大分県日出生台射撃場で訓練を予定していたことが原因だと判明した。
 本土2度目の訓練となった19~23日は事前通告さえもなかった。19日午後になって防衛省から各自治体にもたらされた情報は「オスプレイ4機が岩国基地に飛行する可能性がある」とだけ。米軍は最後まで訓練ルートも、滞在期間も全く明らかにせず、離着陸の状況や目撃情報などで訓練ルートなどを絞り込むしかなかった。
 高知新聞など多くの地元メディアが本土初訓練を大きく報道した一方で、オレンジルート下の地元住民はある意味、冷静だった。
 「オスプレイよりも普段飛んでいる米軍機の方がよっぽどうるさくて迷惑」
 そういった声が老若男女から聞かれた。確かにその通りである。米軍機の目撃情報をまとめている高知県本山町の資料では、1993年には約300回の米軍機が飛来した。稜線(りょうせん)よりも低く飛ぶ米軍機の爆音も珍しくない。地元保育所によると、昼寝している園児が泣いて飛び起きるほどだという。
 騒音の問題だけではない。米軍機は1994年に早明浦ダム、99年に土佐湾に墜落している。近年の目撃情報は年数十回に減っているとはいえ、次の「墜落」が明日ともいえなくないのだ。
 オスプレイの本土飛行の背景にみえてくるのは、日本の民主主義のいびつな“かたち”だ。
 日本の航空法では高度150メートル以下の飛行は認められていない。しかし米軍機は、日米地位協定に基づく特例法で航空法は免除されている。高度100メートルで飛ぼうが、60メートルで飛ぼうが許されるのである。
 同じ敗戦国のドイツでは米軍機はドイツの国内法に準じる形で運用されている。またイタリアでは米軍機による事故を機に、米軍機の低空飛行訓練は事実上禁止された。日本と同じ米軍が駐留する国々ともこれほど違っている。
 翻って日本。住民はいまも米軍機の騒音被害を受け、明日かもしれない墜落におびえて暮らしている。そして、それを許し続けているのは政治家であり、官僚であり、メディアではないか。
 オスプレイ配備と低空飛行訓練。その両者から見えてくるのは、米国に隷属する日本の姿にほかならない。(那)


【写真説明】本土初訓練で高知県上空を飛ぶオスプレイ(高知県大豊町、3月6日撮影=中西三男さん提供)