現場から:福井発

【福井発】まかり通る「経済は命より重し」論? 原発立地地域から

 原発論争の一つに「地元」論争がある(あった)。原発「立地地元」と、その近隣地域で事故時などに過酷な被災を免れないであろうと予想される「被害地元」である。原発最多立地地域である福井県の大飯原発再稼働を巡って、「私たちは福井の原発の被害地域です」と、滋賀・京都の知事を初め愛知・岐阜からも声が上がった。その先頭を切っていた滋賀の嘉田知事は、衆院選の折に日本未来の党を設立、党首として戦ったが小沢一郎に見事に利用された顛末は周知のところだ。

 ▼「被害地元」の複雑な感情
 この地元論争の折、立地地元である福井県内では複雑な感情が渦巻いていた。大都市の電力消費地は使うだけ使っておいて危険となると止めろというが、こっちは供給地として不安に耐えてきたのに悪者扱いされている……というわけだ。悪者扱いされるのはたまらん、という感情には豊かな大都市の優越感に対する劣等感といった構図も透けて見える。
 実際、原発が集中する敦賀市・美浜町・おおい町・高浜町は、福井県南部の若狭地区にあって、財政の厳しい地域であった。そこにつけ込まれた。福島も新潟もその他いずれの地域の原発も立地時の事情はそう変わらないはずだ。そこに原発マネーはじゃぶじゃぶと注がれた。町づくりも住民の雇用も原発が取り込んできた。2012年においてさえも、敦賀市では高卒者の就職先は全体の4割が原発関連という情報もあったほどである。
 こうなると「3.11」後の立地地元では原発について自由にものが言えない状態となる。賛成と言えばこの期に及んでなんということをとなり、反対を声高に言おうものなら袋叩きにあうか「事情も分からんくせに」と罵られるのがオチといった空気が支配しているからだ。

 ▼なぜ出ないエネルギー転換政策
 こうした電源立地地域からなぜ原発以外の再生可能エネルギーを含む新たなエネルギー転換政策の提案なり、試行的な取り組みが出てこないのか不思議な気がする。雇用の転換も含めて国に先んじることができない自治体の舵取りが、もし再びフクシマ的事故が起こってしまったとしたら真っ先に過酷事故の犠牲の再来地として、住民を巻き込むことは明らかなのに、首長も議会も国と電力会社におすがり状態である。ま、県にしても地元の判断が求められたときに知事一任で議論を放棄してしまった県議会であった。結果が再稼働容認であろうとも住民代表として議会機能を放棄してしまったことの無責任さは、命に関わる事案であることを考えれば、究極の住民軽視といってよい。しかしこれすらも責められないのは、国が地元判断を重視するなどと言いながら、めいっぱい圧力をかけて国策でありながら国としての責任逃れをしてきたことにある。

 ▼疑わしきは罰せず???
 市長5期めで市政の舵を取る河瀬敦賀市長は、地元原発直下の地層が活断層との判断が濃厚となったとき、「疑わしきは罰せずの原則がある」との発言で疑わしいからといって廃炉にするな、とのたまわったのであった。人が人を罰する事態とまるで次元の違う原則を持ち出して、放射能も疑いありくらいで処罰するなというわけである。福島の事故がまるで教訓になっていない、原発=経済ありきしか考えられない首長をいただいた地域の不幸は現在のこの国の縮小とも映る。
 原発推進だけで5期を勝ち取ってきた市長に託す「民意」とは。おおい原発再稼働を実現した野田首相も「生活第一」とし、「命」への配慮はなかった。そしていま、安倍内閣は「一に経済、二に経済」である。
 「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という憲法第13条はすっかりうっちゃられた感じである。
 命の軽さに引きかえて、生きることのしんどさ重さは増すばかりとなる。(羊)