岡山発:現場から

【岡山発】「人間裁判」の朝日茂氏生誕100年

 「人間裁判」と呼ばれる。国の社会保障政策の貧困を告発、人間の尊厳を問うたからだ。その先人こそ、朝日茂。今年は、朝日氏が岡山県津山市に生まれて100年、そして50回忌の記念すべき年だ。
 結核を病み、国立岡山療養所で療養生活を送っていた朝日氏。国は、音信不通の兄を探し出して仕送りさせ、生活扶助を打ち切った。仕送りは、苦しい生活を送りながらも、弟に栄養のあるものを食べさせたいと願う肉親の愛情からだった。その思いを踏みにじる国の措置に、朝日氏は怒った。1957年、東京地裁提訴。文字通り血を吐きながらの闘いだった。
 60年、一審勝訴。支援の要請や主張の裏付けとなる資料作成に心血を注いだ朝日氏と、その声を真摯に受けとめた浅沼武裁判長。画期的な判決だった。憲法25条1項に由来する生活保護法3条の「健康で文化的な生活水準」の解釈では、「国民が単に辛うじて生物としての生存を維持できるという程度のものであるはずはなく、必ずや国民に『人間に値する生存』あるいは『人間としての生活』といいうるものを可能ならしめるような程度のものでなければならない」とした。ぎりぎりの命の問題という「生存権」の発想を超え、より豊かに25条を発展させた「生活権」保障を視野に入れている。さらに判決は、国の財政に踏み込み、「最低限度の水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである」とした。最初に必要な財源を確保すべきで、財源不足は通用しないと釘を刺したのである。
 訴訟は、国の控訴を受け、63年に東京高裁逆転敗訴、朝日氏の死去を挟んで67年、最高裁で「上告人死亡により終了」した。それでも、一審判決の放つ輝きは、今も色あせていない。社会保障を後退させようと狙う時の政府を、この判決が縛りをかけてきた。この制約を取り払うため、昨年発表された自民改憲案には、83条2項に「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない」とする条文を忍び込ませている。権力者がいかにこの判決に苦しめられたかを雄弁に物語っている。
 一審判決から半世紀余を経て、8月から生活保護基準が最大10%引き下げられようとしている。生活保護受給者の96%、200万人を直撃する。しかし、影響はそれにとどまらない。国民健康保険料や介護保険料の減免、住民税非課税基準、就学援助基準、年金、最低賃金など、広く国民生活一般に及ぶ。社会保障と税の一体改革の下、切り下げ攻撃が続くことが予想される。
 闘いの深化が求められる。憲法を守ることにとどまらず、血肉化し活かす闘いだ。朝日氏は、今もその闘いの先導者だ。岡山では、NPO法人朝日訴訟の会によって、5月19日に朝日氏が療養生活を送った早島町で、養子縁組し訴訟を引き継いた朝日健二氏を招いて、記念講演会が開かれる。また、朝日氏の遺品や一審判決起案原本、ビラなど4000点を集め、順次同会のホームページ上で公開している。これまでに約半分の2000点が公開されている。闘いの息吹を今に伝える資料。「後に続け」。朝日氏の声が聞こえてくる。(MF)


【写真説明】岡山県早島町にある「人間裁判」の碑と碑文