今週のひと言

「特定秘密保護法案」の何が問題か

 安倍晋三政権が10月の臨時国会に提出する見通しの特定秘密保護法案をめぐり、「知る権利」や「報道の自由」を尊重する姿勢を強調して、批判をかわそうとする動きが目立ってきた。法案に「知る権利」や「報道の自由」の尊重を明記する案が浮上し、菅義偉官房長官は9月18日の記者会見で「前向きに検討している」と言明。内閣で法案を担当する森雅子少子化担当相は19日の自民党の会合で「国民の知る権利や報道の自由をしっかり保護しながら国民の理解をいただいて成立させたい」と発言した。
 外交や安全保障、テロなどの情報を指定し、公務員が漏えいした場合の罰則を強化する内容のこの法案に対しては、日弁連をはじめ反対の声が強い。新聞をはじめマスメディアにも、自由な取材・報道が阻害されるとの危惧があり、比較的活発に報じている。だが「知る権利」や「報道の自由」だけが問題なのではない。この法案が意味する核心は、国家利益や安全保障の前では個々人の人権を抑圧することも必要だとする社会に、わたしたちの社会が変容することだ。それは戦争容認にもつながる。憲法改悪と同根なのだ。
 思い起こすのは個人情報保護法の成立(2003年)の経緯だ。やはり「知る権利」や「報道の自由」が論点となり、マスメディアが反対の論陣を張ったが、新聞、放送の取材活動は適用除外とする修正が施されたことで潮目が変わった。基になったのは読売新聞が紙面で公表した試案。マスメディアの一角が権力側に助け船を出したも同然だった。
 特定秘密保護法案で同じことが起こる恐れはないか。現に、憲法9条を改変し、日本が戦争をできる国家に変わることを社論に掲げる新聞がある。自分たちの「報道の自由」が担保されるなら問題ないと言い出さないか。だが、そうしたメディアは、結局は自らの首を絞めることにしかならないことを悟るべきだ。戦争遂行と自由な表現活動は相いれない。