インタビュー

直言38 ルポライター 鎌田慧

鎌田慧 新聞に批判精神はあるのか

 「なぜ新聞はもっと反論しないのか」とルポライターの鎌田慧さんは首をかしげる。非核三原則を掲げるこの国で「核保有の議論は大事だ」と外相が発言。一方、総務相はNHKに対し、短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に取り上げるよう命令する意向だ。「改憲首相」率いるこの国はどうなるのか。「それは新聞がどれだけ批判できるかにかかっている」と鎌田さんは指摘する。【明珍美紀】

●自縄自縛に陥るマスメディア

  北朝鮮の核実験問題は「恐怖をあおる」という意味では安倍政権の追い風になっているでしょうね。安倍氏は拉致問題の急先鋒として登場したが、彼は解決のために自分で考えて何かをしてきたわけではない。しかし、NHKや民放が繰り返し報道し、それに伴って安倍氏は支持層を広げた。
  マスメディアの相乗効果、自縄自縛のなかで、新聞が政権批判をするのが難しくなっている。自民党の中川昭一政調会長がテレビの討論番組で「憲法でも核保有は禁じていない」と発言したそうだが、小泉前首相が憲法の前文を使って派兵したのと同じですよ。憲法の世界観や宇宙観を切り刻み、都合のいい部分だけ切り取って使う。憲法の冒とくなんだけど、メディアもそれを批判できない。
  冷静に考えれば、北朝鮮のような生産能力の国が、戦争を起こすことなどあり得ない。なのに、なぜそういう考えに走るのかといえば、そちらの方が声が大きいからですよ。右派マスコミの勢いが強くなり、それに対抗することなく、じりじり後退してものを言わなくなってきた。
  敗戦後、この国の人々は、戦争に対する反省と屈折があって、戦争に批判的な世論ができて民主主義が大事だという意識が強かった。戦後の首相であっても、そうした大衆の感情から遊離したかたちで発言すると必ず足元をすくわれた。

●新聞は情報産業ではない

  新聞労連大賞や石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞の選考委員をやっていて感じるのは、調査報道が少なくなっていること。記者個人が時間をかけて取材し、それを読者に還元することも減っている。データを取るために記者を使っている。地方の記者にデータを集めさせ、それを本社でまとめるというような。
  新聞社が情報産業化している。本来、新聞は単なる情報ではないはずで、そこにはアクセントが加わるし、どんな記事を掲載するかの主観がある。客観報道を意識するあまり、かえって中途半端になって、読者の支持を失っている気がする。
  「記者に向いている」と僕が思う人は、新聞社に入れていない。向いているとは、街をほっつき歩くとか、どこかに行って話を聞いてくるのが好きとか、そういうことなんだけど、新聞社のなかに、巷の人々と話すより官僚の話を聞いてくる方が上だという意識があるのではないか。
  街ダネを見つける。記者で手分けしてコラムを書いてもいい。自分で発見して書いていく訓練をする。記者クラブ問題もなかなか改善されないけれど、官庁の発表ものでは訓練にならないし、時間がもったいない。それに依存するようになると若い記者の縮小再生産につながる。歴史を掘り起こすとか以前に誰かがやったことでもいいから、テーマを探して本を1冊書くような気迫がほしい。1つの記事が地域を変え、人生を変えることがあるのだから。
  
●身近な憲法違反に目を向けて

  安倍氏の支持率が60%といっても、60%の人が「改憲首相」を支持しているのではない。「とにかく闘う」という彼のイメージが、いまの世の中を変えてくれるかも、という期待感になっている。
  大きな集会でも小さな集会でも諦めずに開いていく。それも単に「憲法を守れ」と言うだけでなく、生活困窮者の問題など、身近なところに憲法違反はいっぱいあるわけで、それに対して声を上げていく。「格差社会」といって新聞でもようやく書き始めたが、僕に言わせれば、格差が広がったのは労働者派遣法(86年)ができてからで、当時、批判記事はほどんどなかった。「改正」のたびに業種が広がり、いまでは製造業にも「解禁」された。労働基準法を守るための労基署も人手不足。みんなは公務員を減らすことに賛成するけれど、重要な部分は減らしてはいけない。
  いまの社会に対して文句がない人はジャーナリストにならなくてもい、と僕は言っている。この世の中に文句があって、それを何とかしたいという人こそ、ジャーナリストという職業に就いてほしい。
  (この項終わり。なおインタビューは「憲法メディアフォーラム」で継続します)


かまた・さとし
38年青森県弘前市生まれ。早大文学部卒業後、鉄鋼新聞記者を経てルポライターに。「自動車絶望工場」「六ヶ所村の記録」「反骨ー鈴木東民の生涯」など著書多数。96年の第1回新聞労連大賞から選考委員。