インタビュー

直言39 教育学者 大田堯さん

大田堯さん 教育基本法「改正」は改憲の手続き

 平和憲法とともに歩んできた教育基本法の「改正」案が12月15日、参院本会議で強行採決された。東大名誉教授で教育学者の大田堯さん(88)は、その狙いについて「国家による教育権の発動」と批判。そして教育基本法改変は「憲法を変えるための一つの手続きだ」と指摘する。【明珍美紀】

 教育基本法の問題は、保守勢力からみると憲法を変えるための一つの手続きで、教育基本法を変える理由がはっきりしないのはそのせいですね。唯一、いまの政権側に理屈があるとすれば、この60年余に教育の現実に大きな変化が起きた。戦後の市場経済の導入で、村や町の古い共同体が壊れ、濃密な人間関係が失われた。ばらばらの状態になって、新しい市民連帯ができるというのが近代のあり方だが、日本の場合は人間関係の構築にまで熟していない。上下関係の意識に加えて、マネー経済で横の関係が断たれた。深刻な孤独状態に陥り、「人間危機」に直面している。それが子どものなかにも、いじめや暴力というかたちで象徴的に現れている。

●相互に仮想敵をつくり

 「押し付け憲法」とよく言われるように保守派はいまの憲法を屈辱感として受け止め、これに抵抗してきた労働組合や反戦思想の人々は解放感によって受け止める。そういう拮抗した状態が生じたのが戦後の特徴ですね。教育基本法や憲法を変えようとする保守政権の意思表示は、それらが出来た直後からと言ってもいいが、正確には1950年の朝鮮戦争をきっかけに噴出してその後、着々と既成事実がつくられていく。
 教育の世界では、勤務評定、全国一斉学力調査のいわゆる学テ裁判。28年にわたる家永教科書裁判や最近では、日の丸・君が代の強制、新しい歴史教科書と次々に現れ、保守政権が「失地回復」をしようとする雰囲気はずっと保たれてきた。
 だが、革新勢力にも欠点があった。憲法、教育基本法などに寄りかかり、ポジティブな政策や思想が弱かった。保守勢力をつぶしてやろうと敵対的な闘い方をしたため、相互に仮想敵をつくって闘った。
  
●学習権はすべての人にある

 保守政権主導の戦後の流れへの抵抗のなかで産物もあった。それを教育関係でいうと男女共学と学習権の獲得ですね。先ほど述べた家永裁判での教科書をめぐる教育の本質論の展開と、学テをめぐる論議が交わりあう最高裁判決が、学テ裁判の方に出て、学習の権利を認めることになる。最高裁判決は、教育権が国家にあるか国民にあるかではなく、まず子どもに学習の権利があり、その権利を保障するために大人は協力をするべきで、その協力が教育だと述べている。これは非常に重い成果なんです。
 学習権は、何も子どもだけのことではなく、大人にだって終生、学ぶ権利がある。教育基本法の改正といえば、子どもと学校のことだと思っているでしょ。そうじゃなくて、われわれ一人ひとりの学習権の問題であって、メディアの報道の自由の積極的な根拠も国民の学習権の保障にあると考えられる。ところがメディアが報じるのは経過や結果が主で、教育基本法については中身の問題はせいぜい愛国心ぐらいでしょう。一人ひとり違っているはずの愛国心などを法に入れる入れないで空しい議論を繰り返すのも日本の民主主義の未熟さによると僕は思う。

●メディアも力不足の認識を

 記者が力を付けるためには「それぞれおやりになさい」と言うしかないが、われわれ学者の言葉も、専門的な言葉を使うのでまだまだ伝え方が未熟だ。
 小泉さんや安倍さんを悪く言うのは簡単だけど、選挙したのはわれわれなんです。政府が悪いという前に、自分たちが力不足だと認識しないといけない。日本の民主主義が進まなければメディアも変わらない。
    (06年12月、さいたま市内でインタビュー)


大田堯(おおた たかし)さん 教育研究者、東京大名誉教授
 1918年生まれ。41年東京大文学部卒。68~69年同大教育学部長。77~83年、都留文科大学長。日本教育学会会長などを歴任する一方、さいたま市の自宅で学習会・サークルを続け、00年には故郷の広島県三原市に「ほんごう子ども図書館」を開設、運営にかかわる。「学力とは何か」「教育はだれのものか」など著書多数。