今週のひと言

情緒に訴える危うさ

 敗戦から68年の8月15日。安倍晋三首相は全国戦没者追悼式の式辞で、近年の歴代首相が必ず言及してきた、アジア諸国への加害と反省、「不戦の誓い」に触れなかった。
 安倍氏は2007年の式辞では、首相として「わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」「わが国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し、世界各国との友好関係を一層発展させ、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓います」と述べていた。
 ことしの式辞では「世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」と述べてはいるものの、戦争への反省、戦争体験の継承は大きく後退している。特に「み霊を悼んで平安を祈り、感謝をささげるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目し、静かに頭を垂れたいと思います」と述べたことを見過ごすわけにいかない。「言葉は無力」とはどういう意味か。自らも含めて歴代首相が、戦争犠牲者に反省と不戦を誓ってきたことは無意味だったと言いたいのか。
 一国の首相が「言葉は無力」と言ってのけ、情緒に訴えるのは極めて危険だ。道理が通らず情緒に流される社会は、戦争との親和性が高まる。そのことは68年前の敗戦で終わったあの戦争の教訓の一つのはずだ。