お薦め本紹介

お薦め本紹介(2017年1月)

お薦め本紹介(2017年1月)
・つながり、変える 私たちの立憲政治
・たとえ明日世界が滅びるとしても
・下丸子文化集団とその時代
・家族写真をめぐる私たちの歴史
・最後の秘境 東京藝大
・沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか
・大本営発表

つながり、変える 私たちの立憲政治

中野晃一
つながり、変える 私たちの立憲政治
市民運動の原動力となる「がれきの思想」とリスペクト
 著者は、安倍「壊憲」政治に対し、「立憲デモクラシーの会」や「市民連合」の中心メンバーとして「市民主導の野党共闘」を後押ししてきた。
 本書は「市民革命」の序章ともいうべき、今年の参院選に至る市民と「立憲4野党」の共同と背景を分析している。
 32の1人区すべてで候補者を1本化し、自民党が「重点区」とした選挙区で11議席も獲得したことは、「3分の2」を阻止できなかったとはいえ「大きな成果」だったといってよい。
 こうした市民パワーはどのようにして生まれたのか。
 東日本大震災と福島原発事故は、国民にとって、大きな転機となった。政府や国家が機能を停止したとき、国民一人一人が生きるためには、自ら考え行動し、他人と協力しなければならないという大切な経験である。
 永田町を取り巻いたシールズの世代には、この「がれきの思想」が根付いているのを、著者は強く感じるという。
 そして新自由主義の勝ち組・負け組に対し、また自己責任論を唱える風潮に対し、市民運動の中から新たな傾向が現れてきているという。
 「民主主義とはなんだ」、「これだ」あるいは「保育園落ちた」、「落ちたのは私だ」といったコールが示す応答は、その新たな傾向の現れだ。
 著者は、これを問いかけに対する共感、同じ境遇にいると自ら名乗る「連帯の名乗り」だという。分断統治への抵抗運動である。
 野党共闘と立憲政治を求める市民運動に共通する、もう一つのキーワードは「リスペクト」(尊敬)である。他者を認め、リスペクトする市民パワーの発展こそ、社会や政治を変える原動力である。
(大月書店1300円)

菅原正伯

元BC級戦犯が若者たちへ託した言葉の重さ

たとえ明日世界が滅びるとしても
 2016年10月、激動の人生を生き抜いた魂がまた一つ、旅立っていった。飯田進さん、享年92。第2次世界大戦時、ニューギニア戦線に派兵され、終戦後BC級戦犯に問われ、“スガモプリズン”に収監された。
 飯田進『たとえ明日世界が滅びるとしても』(梨の木舎)は、戦禍を生き抜いた記憶を元に、今の日本に対し、強く警鐘を鳴らす飯田さんの心の震えが、そのまま言葉になったかのような一冊。
 飯田さんが派兵されたニューギニア戦線は、20万人のうち生きて帰れたのはわずか2万人、熾烈を極める、戦いの最前線だった。亡くなった方のほとんどが、銃弾や爆撃によるものではなく、飢えやマラリアによる苦しみでの死だった。
 そのニューギニアで捕虜の殺害に関与したとして、飯田さんは敗戦後、BC級戦犯に問われることとなる。上官の命令には絶対服従の、兵士一人一人に選択肢などなかった。
 しかし自分が“無実”だと訴えることもできない。あの戦争は何だったのか、と問い続ける日々の中、朝鮮戦争が起き、警察予備隊ができ、再び武力へと走っていく─自分たちは何のために収監されているのか。二度と繰り返したくない光景をありありと思い返しながら、飯田さんは声をあげ始めた。
 晩年の飯田さんが常に口にしていたのは、「戦争体験を語り続けたのは、徒労ではなかったのか」という無力感だった。
 思い出すたびに吐き気を催す実態を、実感を伴って伝えられるか、不安に思いながらも、語らずにはいられない。気力の源は飯田さんの言葉を受け取った次の世代が、確実にバトンをつなぎ、育っている実感だった。
 本書の後半では、飯田さんが講演で赴いた愛真高校の生徒たちの感想が掲載されている。その一人が、のちに安保法制を巡って路上に飛び出し抵抗を続けた青年だった。
 本のタイトルは、飯田さんが亡くなるまで心に刻み続けていた言葉。そのリンゴの苗を受け取った私たちは、どんな未来を描くべきなのか。宿題として託されている

安田菜津紀(フォトジャーナリスト)

「原爆を許すまじ」が誕生した文化集団の全容

國重惇史
下丸子文化集団とその時代
 出版不況、書店冬の時代は確かだが、素敵な本がきら星のように現れているのも確かだ。まずは、道場親信『下丸子文化集団とその時代』(みすず書房)。今年9月に49歳の若さで亡くなった社会学者である著者の遺作。
 東京南部・下丸子の文化集団は、1950年代、作家・安倍公房などの指導を受け、素敵な詩や評論、版画や歌がたくさん生れた。第五福竜丸事件の後、爆発的に歌われた「原爆を許すまじ」は、ここで誕生した。
 当時の社会運動は、共産党の混乱と不可分であるがゆえに語ることが難しい。著者は膨大な関係者に聞き取り調査し、迷路に入ることなく全貌を明らかにした。夭折が残念でならない。
 皇甫康子編『家族写真をめぐる私たちの歴史』(御茶の水書房)。これはマイノリティーといわれる女性たちにまつわる家族写真を手掛かりに、知られざる歴史を浮かび上がらせた労作である。
 在日朝鮮人2・5世である編者の家にも写真が溢れていた。彼女には子どもの頃、夢があった。朝鮮人の母が和服を着て撮った写真が欲しい。そうすれば同級生にも引け目は覚えず、いつかは日本人になれると。
 しかし指紋押捺など、その後の苛酷な施策は彼女の夢を打ち砕いた。写真は押し入れに仕舞われてしまった。写真に写る家族はいつも微笑んでいる。虐げられた暮らしや差別、悔し涙は写っていない。だからこそ見る者は笑顔の陰にあるものを読み取る必要がある。
 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大』(新潮社)は話題の書。「芸術界の東大」とはどんなところか。著者は、教員には聞かず、在学生たちだけにインタビューを試み、実像に迫っていく。海のものとも山のものともわからない芸術家の卵たち。
 彼らは求道者のように制作や演奏に命を賭ける。芸術家への道は険しく、卒業後、半数は行方不明になる。やっぱり厳しい世界だ。創造とは何か、人間が生きる上で表現とは何かに気づかせてくれる好著。

永田浩三(武蔵大学教授)

空気や感情に流されず事実を伝え続けるために

沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか
 「ポスト真実」の時代という。「感情化社会」の到来とも。ネット上では、取材や調査で裏付けられた事実よりも、自説に合致し、自尊感情を満たす情報が求められ、拡散される傾向にある。そんな時代にあってマスメディアはどこに軸足を置き、何をどう報ずべきか─。
 安田浩一『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)は、作家の百田尚樹が発した「沖縄の二紙は潰さなあかん」という暴言を機に、沖縄タイムスと琉球新報の記者や編集幹部たちに取材して書かれた群像ルポの力作だ。
 徹底して沖縄の民意に立脚し、「県民にとって基地問題は安全保障ではなく人権の問題」と、日々取材を続ける二紙の報道姿勢を描き出すと同時に、百田らが唱える「普天間基地は、もともと田んぼだった」「沖縄経済は基地依存」などの俗説、いやデマに逐一反証してゆく。
 その百田に取材した記者の「権力側の思いを代弁し、権力側にすり寄る記事こそ偏向報道だ」という言葉は重い。
 政治権力と報道が一体化すれば何が起こるか。辻田真佐憲『大本営発表』(幻冬舎新書)は、アジア太平洋戦争に至る軍部の情報操作の内実を、丹念な資料調査で明かす。
 戦果は水増し、損害は隠蔽しての発表が常態化し、戦況悪化につれて捏造・でたらめに堕していった大本営発表。記者たちは当初疑いを持ちながらも、スクープ欲しさと軍官僚の締め付けで飼い慣らされてゆく。こうしたことが「自然の成り行き」で進み、国民の戦意高揚や新聞の部数増に資する良きこととして行われたのは、現代にも通じる重要な論点だろう。
 新聞やテレビは既得権益であるがゆえに偏向し、真実を報じない─そんな安易な「マスゴミ」批判が幅を利かす時代である。感情的な世論や同調を迫る空気に流されず、かつ高みから見下ろすのでなく、事実を伝え、論じる重要性と難しさを二冊の本は語っている。

松本創(‘16JCJ賞受賞者/ライター)