今週のひと言

戦後72年。戦争体験者の思い

 「戦車がうなりを上げ、逃げ惑う人をなぎ倒した。耳をつんざくばかりの轟音と悲鳴。緑の草原は血の色で染まった」
 敗戦直前の1945年8月14日、旧満州(現中国東北部)に侵攻したソ連軍の戦車部隊に襲撃され、1000人以上の日本人らが命を絶たれた葛根廟事件。数少ない生存者の一人、大島満吉さん(81)=東京都内在住=の言葉だ。
 犠牲になったのは、満州北西部の町、興安街(現中国内モンゴル自治区ウランホト)やその周辺に住んでいた民間人。その大半は女性子どもだった。引き揚げのため新京(現長春)を目指す途中、避難場所として向かったラマ教寺院の葛根廟の目前で惨劇は起きた。
 大島さん一家も、何度も死と直面した。逃げ込んだ壕の中で絶命した妹を除いて、逃避行の末、両親と兄、弟と翌年、引き揚げることできた。戦後10年ほどしてから、生還した人々が集まり、東京・目黒の五百羅漢寺で事件のあった8月14日に犠牲者の供養をするようになった。やがて興安街命日会と名付けられ、「初めは父が代表。他界前に私が引き継いだ。ささやかな集まりだが、研究者やジャーナリストなどこの事件に関心を持つ人が少しずつ加わるようになった」。今年5月には、記録映画「葛根廟事件の証言」(田上龍一監督)も完成。「映像を通じてより多くの人々に事件を伝えることができる。決して風化させてはいけない」と大島さんは語る。
 解釈改憲で集団的自衛権の行使が可能となり、「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設した改正組織犯罪処罰法が施行された。このまま改憲の方向へと進むのか、それとも平和国家の道を選ぶのか。
 「8月ジャーナリズム」という言い方があるが、その8月さえも戦争の問題にきちんと取り組まないでどうするのか。いま一度、戦争体験者の話に耳を傾け、当時の資料を発掘し、戦争の実相をより多くの人々に伝える。メディアの義務だ。