今週のひと言

これは確信犯だ

 文部科学相に就任した柴山昌彦氏が2日夜の会見で教育勅語について「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある」と述べた。野党から批判が出ているのは当然だが、確信犯とみるべきだろう。
 稲田朋美・元防衛相が、教育勅語について「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」と発言したのが、昨年3月の参院予算委員会でのことである。その稲田氏は今回の自民党役員人事で総裁特別補佐に就任した。
 敗戦直後の衆院で排除、参院で失効の決議がされた過去の遺物である教育勅語を肯定的にとらえる発言が、なぜ、こうも繰り返されるのか。そこには、為政者の側が国民を統治するという倒錯した感覚があるからではないか。
 それを裏付けるように、柴山氏は記者会見でこう述べた。「戦前は義務や規律が過度に強調されたことへの反動として自由や権利に重きを置いた教育、個人の自由を最大の価値とする憲法が制定された」「権利とともに、義務や規律も教えていかないといけない」
 父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩をしないこと――。教育勅語にはいいことも書いてあるのだから、全否定する必要はないというのが、右翼政治家がよく使う詐欺的な話法である。
 道徳を教えるのに、なぜ、あえて日本国憲法下で否定された教育勅語を持ち出すのか。それを大臣という責任ある立場の政治家が繰り返すのか。明らかな目的がある。
 自民党の憲法改正草案が端的に語っている。「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守」(前文)る義務を負うべきだ。「義務や規律」(柴山氏)をたたきこみ、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉」する国民を作り直す必要があるのだ――。
 これが安倍政権の地金である。だまされてはいけない。