今週のひと言

「拗ね者」の精神を継ぐ

 元読売新聞社会部記者の本田靖春さんが2004年12月に71歳で死去して15年。昭和50年代後半から60年代に新聞記者を志した世代なら、「不当逮捕」や「警察回り」などの作品をむさぼるように読んだ経験があるはずだ。ノンフィクション作家の後藤正治さんが、担当編集者らに丹念に取材してまとめた評伝「拗ね者たらん 本田靖春 人と作品」(講談社)が昨年暮れ、上梓された。がんや糖尿病と闘い、両足と右目の視力を失いながら執筆を続けた最後の日々の壮絶さには息をのむ。最後の作品「我、拗ね者として生涯を閉ず」(講談社、2005年)は、本田さん自身「私はこの連載を書き続けるだけのために生きているようなものである。だから、書き終えるまでは生きていたい」と書きながら、最終回を残して絶筆になった。
 この作品を古書で入手した。読み終えて「もっと早く読んでおけばよかった」と思った。植民者の子として戦前の朝鮮で生まれ、敗戦後の引揚生活で苦労した。日本の植民地支配の実相も肌で知っていた。それらの経験が終生、戦争を憎み、戦争を招くものには徹底的にあらがう姿勢の土台にあった。根っからの平和憲法支持者だったことがよく分かった。
 本田さんは、社会部の黄金時代の終焉とともに1971年に読売新聞社を退社した。社会部の黄金時代とはどんなものだったのか、実例もふんだんに書かれている。だがむしろ、現在のマスメディアとそこで働く人たちにとって意義があるように思うのは、部内で声を上げる気風が急速に失われていきつつあった中で、本田さんが若手記者たちに説いていたという「野糞の精神」のエピソードだ(本田さん自身「下品になって恐縮だが」と断って紹介している)。
 「可能ならば、全員で立ち上がって戦ってほしい。できないなら、せめて、野糞のようになれ—」「野糞はそれ自体、立ち上がることはできず、まして、相手に飛びかかって噛みつくなぞは絶望的に不可能である。でも、踏みつけられたら確実に、その相手に不快感を与えられる。お前たち、せめてそのくらいの存在にはなれよ、—と訴えたのであった」
 管理強化が進んだ組織の中で、立ち上がって声を上げるのは大変な勇気が必要だ。皆が続いてくれるとは限らないし、孤立すれば居場所がなくなる。でも、もし「このままでいいのか」と思うのだったら、いきなり声を上げるのは無理でも、まずは本田さんが「せめてそのくらいの存在には」と書いたところから始めよう。そして仲間を増やしていこう。