沖縄発:現場から

【沖縄発】「慰霊の日」の3本の矢の狙い

 4月28日、安倍晋三首相は政府主催の「主権回復の日」記念式典を憲政記念会館で催した。戦後68年経ってなぜ唐突に主権回復の日なのだろうか。逆に式典は、安倍首相自らが、今年のこの日に至ってもこの国に主権が存在しないことを「公」に認めた日でしかなかったのではないのか。
 東京の式典と同時刻、沖縄では式典を糾弾する「沖縄大会」が宜野湾市で開催された。「4・28」。沖縄県民の感情は「屈辱の日」でしかない。
 1945年、ニッポンは戦争に負けて米軍の占領下に置かれた。6年後の1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結され、その次の年の4月28日に条約が発効。と同時にその日をもって沖縄と奄美、小笠原はニッポンから切り離され(分断され)、米軍の施政権下に置かれたのは歴史の事実である。
 その後、奄美は鹿児島へ、小笠原は東京へと一足先に復帰した。だが沖縄はアメリカによる「異民族支配」が実に27年間も続き、ニッポンに復帰したのは1972年のことだった。
 27年の間に何があったのか。沖縄県外にあった米軍基地・施設が沖縄にほぼ一極集中的に移転してきた。高等弁務官の布令・布告という「紙」一枚で沖縄県民は翻弄され、米軍が起こす事件事故で県民が犠牲になろうとも加害者の米兵は罪を問われない。逆に被害者への謝罪・補償さえもなかったのだ。「やられ損、殺され損」。そのような状況が27年間も続いたのである。
 そして復帰41年経った今なお、普天間基地に象徴される海兵隊をはじめとする米軍の傍若無人な振る舞いは1972年以前といったい何が変わったというのだろうか。欠陥機オスプレイの強行配備(今夏にも12機追加配備計画あり)、普天間基地の名護市辺野古への移設ごり押し(沖縄では、国家によるストーカー行為という)、基地の負担軽減と胸を張った嘉手納基地より南の施設の返還も、沖縄に集中する米軍専用施設面積の割合がわずか0・1%減るだけだ。しかも、すべてが沖縄県内の既存施設への移設でしかない。まさに子供だまし。厚顔無恥。悪質極まりないとはこのことを言うのであろう。
 今年の「4・28」ほど、政府と沖縄県民が対峙したことはない。安倍首相の「主権回復」という狭隘な目線に対し、「屈辱」という沖縄県民の歴史的背景からの視野と視点が際立った。米軍に今なお広大な基地を提供し続けていながら「主権回復」と喜ぶ心理とはどういうものなのか。いくら沖縄県民が考えても理解しがたいものがある。もちろん感情論ではない。歴史を都合よく解釈する為政者に対して事実を突きつけたまでのことである。
 5月15日。復帰の日。沖縄では「復帰の内実を問う」5・15平和行進が毎年行われている。今年は17日から3日間、行われた。全国からの参加者を含めた行進団は米軍基地や自衛隊基地、沖縄戦の激戦地などを見ながら歩いた。歩くことでこの国の矛盾が鮮明になる。
 沖縄本島の南端・糸満市摩文仁の国立戦没者墓苑で、6月23日に沖縄戦で犠牲となった戦没者を悼む式典が行われる。今年は安倍首相のほか、はじめて外務、防衛の両大臣が参列するという。なぜ? と県民はいぶかる。分かり切ったこと。普天間基地の辺野古移設をはじめとする米軍基地の沖縄への押し込め。さらに尖閣問題に名を借りた自衛隊の増強配備。そして仲井真知事への工作と、これまで政府がとってきた、「飴をしゃぶらせ」て県民を分断する工作以外の何ものでもないのは確かである。
 「アベノミクス」の3本の矢とは、成長戦略などでは決してない。景気回復といいながら国民の生活は豊かになったのだろうか。雇用の切り捨て、社会保障の切り捨て、生きる術がすべて切り捨てられる。すでに株価は乱気流の中に突入し、世界経済の不安定材料の要素ともなってきた。それもお構いなしだ。
 真の狙いは、沖縄の「慰霊の日」に首相、外相、防衛相の3本の矢? が揃うことでうるさい沖縄県民を黙らせ、米軍基地を押し込めた上で「憲法改悪」の地ならしをするつもりなのだろう。国民の命や暮らし、経済、東北の被災地、福島の原発被害の対策などより、まずは7月の参議院選挙で過半数を制し、憲法をいじろうとする目論見が透けて見える。
 右傾化するこの国に果たして未来はあるのか。
 翻って、自戒を込めて言おう。ジャーナリストの無知と無関心ほどさもしいものはない。権力と対極にあるのがジャーナリズムなのではないのか。(風)