「生涯ジャーナリスト」を悼む

    2017/12/08

     ジャーナリストで元共同通信編集主幹の原寿雄さんの訃報が流れた。
     まずは、その共同通信のニュースの一部から。
    〈1949年に社団法人共同通信社に入り、社会部次長、バンコク支局長、外信部長、編集局長、専務理事、株式会社共同通信社社長を歴任。新聞労連副委員長や神奈川県公文書公開審査会会長、民放とNHKでつくる「放送と青少年に関する委員会」委員長なども務めた。
     57年、「菅生事件」取材班の一員として、大分県で交番を爆破し共産党の犯行に見せかけた警官を捜し出して報道。社会部次長の時、60年代のマスメディアを巡る状況を記録した「デスク日記」(全5巻)を小和田次郎の筆名で出版した。
     その後も、官庁や企業の提供情報に依存した報道を「発表ジャーナリズム」と呼び批判するなど、メディアに警鐘を鳴らした〉
     幸い、原さんの謦咳に接する機会に何度も恵まれたが、印象に残っている一つは「市民」に対する視線だ。「良心的な人々が、良心的に黙っている」ことへの問題意識を、原さんは何度も口にしていた。そして、大衆が煽動されやすい存在であることについても。敗戦直後の朝日新聞の社説「国民と共に立たん」を指して「それではダメだ。結局また国民と共に戦争してしまうことになるぞ」と批判していたことが忘れられない。
     上記の「菅生事件」の思い出では「オマワリを捕まえることができるとは、何て面白い仕事だと思った」とジャーナリズムの醍醐味を語る一方で、件の警官の単独取材に際しては警察との裏取引があったことを明らかにして、権力とメディアの距離に関してもしっかり釘を刺していた。
     そしてもちろん、一ジャーナリストとしての原さんの存在の大きさ。
     研究会などの席で、既成観念に捉われない自由な発想に基づく質問を発し、報告者をはじめ一同を唸らせる場面を何度も目のあたりにした。あれほど「問いを立てる」ことの重要性を体現していた取材者は見当たらないだろう。参加者の結論はだいたいいつも一緒で、「原さんがいちばんラジカルだ」。
     享年92、と言えば大往生なのかもしれないが、原さんが私たちに語り遺そうとしていたことをどれだけ我がものにして来られたのか、と考えると、甚だ心許ない。
     とりわけジャーナリズムの危機、言論・表現の自由の抑圧が、これまでにないほど深刻化している今こそ「ジャーナリズムの思想」をもっと語ってほしかった、と悔やまれてならない。