今週のひと言

疑惑だらけの政権と官僚

 「森友学園」と「加計学園」という二つの学校法人をめぐる問題で、次々と官僚や政治家の「ウソ」が表面化している。森友では決裁文書の書き換えや学園側への口裏合わせがあった。加計では、当時の柳瀬唯夫首相秘書官(現経済産業審議官)が愛媛県や今治市の職員らに「本件は首相案件」と説明したことを示す文書の存在が判明した。それでもなお柳瀬氏は職員らとの面会を否定している。安倍首相に至っては、自身の関与を否定はしながらも「コメントを控えたい」と説明責任を放棄している。
 このほか陸上自衛隊のイラク日報や、野党の追及で判明した厚生労働省の働き方改革法案に関するデータ不適切問題もある。特に働き方改革法案については、経営者にとって都合のいい裁量労働制の拡大をもくろんだ結果、調査条件が違うものを比較するなどして「裁量労働制の方が労働時間が短い」ことを示そうとしたのだ。データの不備というより、ごまかしではないか。
 疑惑だらけの政権と官僚を抱えているのがこの国の実情だ。私たちがどんな政権のもとで暮らしているのか、厳しい目でチェックしなければならない。疑惑の根っこを掘り起こし、真実を明らかにするのがメディアの役割であることは言うまでもない。


ぶれない法制局元トップの気概

 平和主義と戦力の不保持、交戦権の否認を定めた9条1、2項を残しても「自衛隊を保持する」と書き加えれば、後から書いた条文が優先される。1、2項は自衛隊の権限を広げる障害ではなくなる。つまり、1、2項は「立ち枯れた懐かしの記念碑」として残るだけだろう――。こんな宮崎礼壹・元内閣法制局長官のインタビューが4月4日付の朝日新聞朝刊に掲載された。
 安倍晋三首相が主導して進める、憲法9条への自衛隊明記を正面から批判し、論理明快な内容だった。
 宮崎氏といえば、安全保障関連法案が審議されていた2015年6月の衆院特別委員会で、「(法案は)憲法9条に違反し、撤回されるべきものだ」「(集団的自衛権の行使を容認した政府解釈は)黒を白と言いくるめるたぐいだ」と舌鋒鋭く批判したことが記憶に新しい。
 ぶれない元法制局のトップの発言から伺えるのは、法律専門家集団として戦後の政府解釈を担ってきた自負だ。
 かつて、佐藤達夫・元長官が法制局と内閣の意見が食い違った時、「法制局職員は、辞表をたたきつける」心構えを見せよと語ったことがある。それでも「法制局の専門家の判断というものが、内閣から一顧もされないということになったら、法制局制度としてはすでに墓場への道に追いやられたことになるでしょう。そして、それは大げさに言えば、法治主義の墓場への道にもつながる」(「内閣法制局史」)と述べていた。
 憲法制定にも深く関わった佐藤氏の信念は宮崎氏にも通じるものがある。辞表こそ提出しなかったが、退職後に加計問題をめぐる官邸の圧力を告発した前川喜平・文部科学省前事務次官にも通じる。しかし、ゆがんだ官邸主導に押しつぶされた官僚機構にこうした気概は失われている。
 森友問題で文書改竄を続けた財務省から辞表を突きつけ、真相を語る役人が出てこないものか。今からでも遅くない。官僚の気概を見せて欲しい。


また誰かこんなぶら下がりしてもらえませんか

「ソーリ! 政治的公平ニュースの波野公平です!いくつか質問したいんですけどぉ!」
「先日から『放送制度の大胆な見直しを』っておっしゃってますけど、どうして電波・放送行政の所管である総務省じゃなくて、規制改革推進会議で議論するんですかぁ?」
「放送法4条を廃止して新規参入を促したいっておっしゃいますけど、地上波テレビのデジタル化で高画質放送を条件にして、電波帯域を大きく使って少ないチャンネルしか取れないようにしたのは政府のほうですよね?」
「高市早苗総務大臣が、政治的公平違反には電波停止もできるという趣旨の答弁をして、それをフォローした『政府統一見解』で、放送法違反を繰り返したら電波停止もできるということを明記したのは一昨年ですよね? たった二年間で真逆になってませんか?」
「昨年11月に国連人権理事会から出された勧告に『放送法4条廃止』が含まれていたのに、これについては拒否しましたよね? 言っていることとやっていることが矛盾しているんじゃないですか?」
「放送法4条を廃止しても、電波法の運用停止条項が放送法違反に適用できることになっている限り、放送局への威嚇効果は変わらないですよね? 総務省が直接、放送免許を出すという制度そのものが問題なんじゃないですか?」
「アメリカでもヨーロッパ各国でも、韓国でも台湾でも、放送免許は独立規制機関による間接免許制なのに、なぜ日本は直接免許制なんですか?」
「放送局は、災害時にはCM飛ばしてでも報道特番を放送してますけど、新規参入したネット系の事業者がみんな、そんな対応できるんでしょうか? そういう儲けにならない事業だとしたら、そんなに参入して来ないんじゃないでしょうか?」
「本当のところは、総務省から電波利権を取り上げて、経産省に回したいんでしょ? それから、自分のことをほめてくれる番組ばっかり放送させたいんでしょ?」
「答えていただけませんか? ソーリ…」


「自民党案」の「原案」―独裁政権と闘おう

 自民党の憲法改正推進本部は、22日、全議員が参加することになっている全体会議で、安倍首相が提案した通り、9条2項を残したまま自衛隊を明記する条文案の「原案」を、決めた。「条文作成を含む今後の対応」は細田博之本部長に一任することで、25日に提案し、「改憲大会」を盛り上げる。これで、党大会では、表現こそ曖昧だろうが、「安倍9条改憲」が、正面切って、自民党を牛耳ることになる。
 「森友決裁文書改ざん」が注目を集める中、例によってドタバタの一任取り付けだ。「森友隠しの改憲」か「改憲隠しの森友か」―どちらとも言えない状況に、安倍政治の歴史的罪悪が横たわっている。そこに、前川喜平前文科次官の講演を自民党議員や役所が監視し、内容を問い合わせるという「思想統制・言論統制」・教育統制」への動きも明らかになった。林芳正文科相はこれを容認し、首相もそれを擁護する。
 誰が見ても、「指示」か「忖度」か、首相夫人の介在がなければ実らなかった森友学園への8億円値引きの「行政私物化」、異論はむしろ、お添えもの、カモフラージュにする改憲条文一任取り付け。まさに、独裁政権の手法だ。
 いま、日本中で、「安倍改憲NO!」の3000万署名が進められている。国会前には連日、安倍退陣を求める国民が押しかけている。森友スクープの「朝日はよくやった。激励したい」という声もあちこちで聞いた。
 さあ、改憲の動きの中で、メディアはどうするか? 直接、「改憲反対」とは書きにくい。ではどうするか? まず、身の回りの 「安倍NO! 」の声と動きを書こう。公務員や教師や、経営者や、地域の商店会や…、ものが言いづらい人の「本音」の声を書こう。
 「戦争は嫌! 改憲など必要ない」とみんな思っている。「安倍夫妻はひどい、佐川さんは被害者」とみんな思っている。それならそれを、3000万署名に結びつけ、メディアで広げよう。真剣に、そう思う。


すべてを明らかにしよう、佐川さん

 看過できない動きだ。大阪の学校法人「森友学園」への国有地売却問題で、財務省の決裁文書が改ざんされていたことを巡り、安倍晋三政権や自民党は、全ての責任を辞職した佐川宣寿・前国税庁長官に押し付けようとしている。例えば15日の参院財政金融委員会。安倍首相に近い西田昌司自民党参院議員は「『佐川事件』の真相解明が第一だ」と「佐川事件」と言い放ち、麻生太郎財務相は前長官を呼び捨てにして「この一連の佐川の件」と呼んだと報じられている。
 そもそも国有地売却を巡る疑惑から切り離して、改ざんだけが問題にはなりえない。首相の妻が肩入れしていた特定の学校法人に、通常ではありえないような好条件で国有地が売却されていた。昨年になって露見し、財務省理財局長だった佐川氏は森友学園への特別扱いを否定し続けた。本来は、省内に残っていた決裁文書の通りに答弁すべきだったのにそうしなかった。だからつじつま合わせのために、文書を改ざんせざるを得なくなった。決裁文書の内容が公になって困るのは誰だったのか。今回の改ざんも含めて、森友学園への国有地売却問題の本質は、現在でも少しも変わりがない。首相の妻の肩入れによって、国有地の売却手続きがゆがめられたのではないか、ということ。そして、ウソをつけば、ほころびを取り繕うためにさらに大きなウソをつく、大きな不正に手を染めざるを得なくなることを示しているのが、今回の公文書改ざん問題だ。だれの、何を守るためのウソなのか。佐川前長官に矮小化できる問題ではないことは明らかだ。
 佐川前長官を巡っては、国会での証人喚問の実施が固まっている。この際、佐川前長官に呼び掛けたい。あなただけが悪いのではないはずだ。証人喚問を待つまでもない。この森友学園への国有地売却を巡ってあなたが知ったこと、考えていたことを包み隠さず、勇気を持って明らかにすべきだ。そうすることによってのみ、あなたは憲法15条が「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定める、公務員としての矜持を保つことができる。このままでは、あなたは切られたしっぽのままだ。


被ばくを免れる権利、健康を享受する権利

 「私たちには被ばくを免れる権利、健康を享受する権利がある。原発事故で命にかかわる権利が侵害されていることを世界に訴えたい」
 東日本大震災と原発事故で被災し、福島県郡山市から大阪に母子避難をしている森松明希子さん(44)が今月16日、スイス・ジュネーブで開かれる国連人権理事会の本会議でスピーチすることになった。
 森松さんは1カ月の避難所生活を経て当時3歳と6カ月の2人の子どもを連れて大阪に避難した。医師の夫は福島に残り、二重生活を余儀なくされている。同様に関西に逃れた母親有志と自助団体「Thanks&Dream」(通称・サンドリ)を2014年に結成。各地で暮らす被災者の手記や川柳を冊子にまとめるなど当事者の思いを発信し、「避難をする権利」を求めた原発賠償関西訴訟原告団の代表も務めている。
 国連人権理事会は昨秋、日本を対象に実施した普遍的定期的審査(UPR)の結果を報告書にまとめた。福島原発事故関連ではオーストリア、ポルトガル、ドイツ、メキシコの4カ国から勧告を受けた。このうちドイツ政府は「許容放射線量を年間1ミリシーベルト以下(現行は同20ミリシーベルト)に戻し、避難者及び住民への支援を継続すること」などを求め、特に妊娠している女性や子どもたちの「心身の健康に対する権利」を尊重することに力点を置いている。
 今回のスピーチは、国際環境NGO「グリーンピース」が本会合でのスピーカー申請を行い、当事者である森松さんがジュネーブに飛ぶことになった。
 それに先立つ8日、参議院議員会館であった院内勉強会に森松さんらとともに出席した海渡雄一弁護士は「子ども・被災者生活支援法ができたが、現状は被災者の自己決定権を踏みにじられ、このままでは強制避難区域に戻されてしまう事態に陥る」と危惧する。日本政府は4カ国の勧告を受け入れた。とはいえ「これまでの政策を続けながらという二枚舌の態度。我々市民もしっかり監視する必要がある」と指摘する。
 「生存権や個人の尊厳が守られる権利は憲法に書かれている。私たちがこうして声を上げるのは、震災で命を落とした人々がいるからです」と森松さんは言葉力を込める。
 11日で震災から7年。当事者の闘いはいまなお続いている。


なめられる国民、私物化される憲法

 自民党の憲法改正推進本部が憲法改正案の条文案作りを急ピッチで進めている。3月25日の党大会に間に合わせるべくとりまとめたいのだろうが、その質の低さに驚き、あきれてしまう。
 まず、参議院の合区解消のために47条を改正し、3年ごとの改選で各都道府県から「少なくとも一人」を選出できる仕組みに変えるという。最高裁から求められた「一票の格差」是正の要求を平気で放棄する。衆院とほぼ匹敵する権限を弱めるのであればまだしも、そこは目をつぶり、手をつけない。
 教育無償化についても、国が「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない」と努規定が入ったが、無償化の実現には具体的な法的手当が必要で、憲法を変える意味はない。
 緊急事態は迷走しているようだが、憲法9条の改正で耳を疑う発言があった。2月5日の衆院予算委員会。希望の党の玉木雄一郎代表が、9条への自衛隊明記が国民投票で否決されたらどうなるか、安倍首相に問いただしたところ、首相の回答は「自衛隊が合憲であるということは明確な一貫した立場であり、自衛隊を明記することが国民投票でたとえ否定されても変わらない」。承認されても否決されても何も変わらない、ということだ。では、何のために850億円もかけて国民投票をするのか。
 もちろん、首相の説明を額面通り受け止めることはできない。新たな条文が加われば、9条2項が無効化してしまう危うさをはらんでいる。それにしても、こんな不誠実かつ非合理な議論がまかり通ることをどう考えたらよいのか。国民がなめられ、憲法までが私物化されているのだ。


現代の箴言

 来る3月10日午後、東京・日比谷のプレスセンター10階ホールで、シンポジウム「原寿雄さんと現代のジャーナリズムを語る会」が開かれる。昨年急逝されたジャーナリストで元共同通信編集主幹の原寿雄さんを偲んで開かれるものだが、これに際して藤森研・専修大学教授が、会場配布資料用に原さんの語録をまとめられた。現代の箴言とも言える原さんのことばから、その一部を紹介しておきたい。

・歴史意識のない者は現代の新聞記者として、失格といえる。〈1979年『新聞記者』より〉
・「戦争が始まれば自由は終わる」といわれるが、戦争のなかにあっても戦争批判の自由をジャーナリズムが確立できるようでなければ、戦争を阻止するジャーナリズムはとても望みえないだろう。・・・私たちは「自国のかかわる戦争には極めて弱い」ことを十分承知しておく必要があると思う。同盟国の戦争も自国のかかわる戦争となる。〈1992年『新しいジャーナリストたちへ』〉
・メディアの上で差別表現は消えても、差別社会の実態がいっこうに変わらないのでは意味がない。ジャーナリズムとしては「差別をしない」ではなく、「差別をなくす」でなければならない。〈1997年『ジャーナリズムの思想』〉
・デジタル時代がこのまま進めば、人びとは自分の個人的な利害や趣味、関係する仕事に直接かかわる情報以外に関心を持たず、公共的な情報は不要視され、権力監視や社会正義の追求に不可欠なジャーナリズムは、滅びてしまいそうな情勢である。情報栄えてジャーナリズム滅び、ジャーナリズム滅びて、民主主義亡ぶ——そうなってはならない。〈2009年『ジャーナリズムの可能性』〉
・自由は、手を伸ばしてみて初めて伸ばせる範囲がわかる。今ある自由を百%使いこなそう。〈2011年『ジャーナリズムに生きて』〉
・私は日本人として生まれたわけではない。人間として生まれた。・・・国籍は後からつけられる。「日本人」はフィクションに過ぎない。ジャーナリストは意識の上で、国籍を常に越える努力が必要だと思う。〈2015年『安倍政権とジャーナリズムの覚悟』〉


「南北融和」をなぜ歓迎しないのか

 「朝鮮危機」の中で心配された平昌五輪が開幕、北朝鮮の最高人民会議常務委員長・金永南氏と、金正恩委員長の妹・金与正氏が訪韓、韓国の文在寅大統領と会談するなど、朝鮮半島・南北融和に因んだ動きが続いた。「平和の祭典」としてこれを機会に交流が進むのは自然で、当然のことだが、日本のマスコミはこうした動きを「ほほえみ外交」と、冷笑的に捉え、異常だと思えるほど牽制した。
 新聞各紙の社説は、北朝鮮の行動について「朝鮮労働党の金正恩委員長が、『五輪参加』のカードを切って、韓国を取り込む戦術を本格化させたと言えよう」(読売)、「これを盾に米韓軍事演習の中止や在韓米軍の撤退を求め、米韓の離反をねらうことが予想される」(朝日)、「五輪と軍事演習を取引材料にするようなことがあってはならない」(毎日)などとし、産経は「非核化を導かない対話に、価値を認めることはできない」として、韓国が北朝鮮代表団に「便宜を保証する」のは「人道目的を超える『対北支援』に相当することにならないか」とまで言っている。
 そして、「韓国、米国、日本がいっそう結束を固めるべき時である」(朝日)、「文政権には日米と緊密に連携し、(中略)危機打開につなぐ戦略を作ることが求められている」(毎日)、「韓国は日米との緊密な連携を保つことが欠かせない」(読売)、「いまは日米韓、そして国際社会が一致して、対北圧力をかけ続けるべき時だ」(産経)という。
 この姿勢、「米韓軍事演習は予定通りやるべきだ」と内政干渉的発言をし、大統領に「韓国の主権の問題だ」と言い返されたり、「対話のための対話では何も生まれない」と国会で繰り返す安倍首相の姿勢と見事に一致する。いつの間にそんなことになったのか?
 「朝鮮危機」に国民みんながはらはらしてきたのは、過激な言葉のやりとりの中で、戦争への空気が高められ、偶発的な衝突でも起きれば大変だ、ということだし、朝鮮半島の戦争は朝鮮半島の問題ではなく、日本が大きな被害を受ける深刻な問題だ。対話を否定し、圧力をかけ続ける、というのはどういうことか? 要するに戦争をさせたいのか?
 既に朝鮮南北両政権の間には、1960年代から、南北で合意した「連邦制統一案」と南北両政府代表による「最高民族委員会」の樹立案ができ、72年の南北共同声明や92年の「南北間の和解と不可侵および交流、協力に関する合意書」(「南北基本合意書」)につながっている。それぞれの分野での南北交流の経験もある。
 この際、「ヨジョンさんの微笑」を積極的に「利用」してはなぜいけないのか? 文在寅大統領の「北訪問」を実現させ、「統一朝鮮」実現への道を前進させよう。もともと、朝鮮分断の責任は日本にもある。


産経新聞の極論と攻撃性

 産経新聞が2月8日、沖縄で米海兵隊員が重体になった交通事故を巡る記事について、取材が不十分だったとして削除することを紙面と自社サイトで明らかにした。同時に、記事中で「メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」と批判していた沖縄タイムス、琉球新報に謝罪した。
 削除したのは、昨年12月9日にサイトにアップした「危険顧みず日本人救出し意識不明の米海兵隊員 元米軍属判決の陰で勇敢な行動スルー」の記事。同12日付の紙面にも掲載した。自身の車も事故に巻き込まれた海兵隊員が、横転した車から日本人男性を救出した直後に別の車にはねられたとし、さらに「『米軍=悪』なる思想に凝り固まる沖縄メディアは冷淡を決め込み、その真実に触れようとはしないようだ」として、“美談”が載っていなかった沖縄タイムスと琉球新報を痛烈に批判していた。ところが海兵隊も沖縄県警も、この海兵隊員が日本人男性を救出したとは確認しておらず、産経は沖縄県警に取材すらしていなかった。これらのことを琉球新報が1月30月に、沖縄タイムスも2月1日に報じて、産経の記事に疑義を呈していた。
 記事を書いた産経那覇支局長の取材のずさんさに驚くが、より本質的な問題は、沖縄タイムス、琉球新報に対して産経が抱いている憎悪と攻撃性だ。問題の記事には「常日頃から米軍がらみの事件・事故が発生すると、『けしからん!』『米軍は出て行け!』と言わんばかりにことさら騒ぎ立て、米軍の善行には知らぬ存ぜぬを決め込むのが、琉球新報、沖縄タイムスの2紙を筆頭とする沖縄メディアの習性である」とのくだりもあった。ここまで感情的で憎悪に満ちた文章は、組織の中にそうした物言いを許容する雰囲気がなければ書けるものではない。その意味で、那覇支局長個人や記者教育の問題にとどまるものではなく、組織そのものの問題ではないのか。
 第2次安倍晋三政権になって、在京紙では朝日、毎日、東京と読売、産経の論調の2極化が目立つようになった。同時に、産経の他紙批判も攻撃性を増している。それは安倍政権への無批判の支持の裏返しのように見える。沖縄メディアへの憎悪も根は同じで、さらには沖縄の基地反対運動や翁長県政にも攻撃は向けられている。いち早くネット展開した産経にとっては、そうした極論、攻撃性が安倍政権支持層に受けが良く、経営上も成功モデルになっているのかもしれない。だが、それはジャーナリズムとはほど遠い。